30人31脚!!
 第11回を迎えた「30人31脚全国大会」に、長野県代表として、上郷小学校6年1組が出場しました。
 全国大会の様子ですが、先ず12月3日(日)の14時30分から長野朝日放送(テレビ朝日系列)で、「30人31脚・全国大会2006代表校全部見せますSP(スペシャル)」が放映されます。
 そして、12月9日(土)の19時からは「第11回大会 30人31脚・全国大会2006」が、さらに、新年1月1日(月)の7時30分からは「完全版」が放映されます。
 はたして上郷小学校の成績は・・・?

 さて、今月のオススメは2冊。「カフーを待ちわびて」(原田マハ 著 宝島社)。第1回「日本ラブストーリー大賞」大賞受賞作です。4月に地元のFM局で紹介され、市立図書館に入ったのが6月。図書館のホームページで検索して見つけたのが10月で、予約を入れて約1ヶ月待たされました。借りてきた日に一気に読み終えましたが、直後の感想は、主人公を応援したいなと思った事。ただ、二人が出会うまでに、これほど多くの偶然が重なり合う事は、現実にはあり得ないでしょう。
 続いては、「末期ガンになったIT社長からの手紙」(藤田憲一 著 幻冬舎)。藤田さんの闘病の様子は、「NEWS23」(TBS-信越放送)で何度か取り上げられているので、ご存知の方もいらっしゃると思います。今年の1月23日に3ヵ月の余命宣告を受け、10月12日に胃がんのため逝去されました。
 亡くなる数日前にも鈴鹿でF1レースを観戦するなど、最期まで精力的に動いた人でした。この原稿作成にあたり、「藤田憲一」をウェブ検索して、彼の死を初めて知りました。
 映画では、12月14日(木)までトキワ劇場で上映している「ゆれる」(西川美和 監督)。初日(11月25日)の初回(11時)上映を観ましたが、観客は8名(女性6名、男性2名)でした。ヨメは、「座れるかなあ。」と心配していたのに・・・。
 オダギリジョーが、いいです。伊武雅刀も、「のだめカンタービレ」(月曜21時 フジテレビ-長野放送)で演じている「裏軒」(中華料理店)のオヤジと同一人物とは思えない。蟹江敬三も、相変わらずいい味出してるし、木村佑一(キム兄)も、はまり役です。だけど、やっぱり香川照之だな。
 (写真は、11月19日の午前、天竜船下りの船が近づく時又港付近と、11月25日の午後、飯田市美術博物館のイチョウ。)

 

(高橋 秀治)


 

上郷黒田 三ツ井 (飯田観光Ⅳ)
 今も現役、ひっそりと、大切に使われている、水源。旧上県道、上郷木材から高速道路ボックスを過ぎ、野底山森林公園へ行く道添い、右に「火の見やぐら」がある所。
 飯田地方は、深い山に囲まれ、全国でも水不足の声を聞かない地域。しかし、そんな地区でも水利権をめぐって、争いが耐えなかったそうである。幕末、規定書を取り交わし治まった。その分水率は 南井2、中井2、北井6である。
 この三ツ井が、上黒田・下黒田・飯沼を灌漑する、上郷最大の用水になった。150年間 今でも、上郷の水田6割を潤している。これからも、変わることなく流れ続けるだろう。
 

(斎藤 純)

 

飯田から全国へ、そして世界へ

 昨年6月のこのコーナーで、自転車国際競技大会「ツアーオブジャパン–南信州–」の話題を紹介させていただいた。(BackNumberご参照)
 「自転車のまち“飯田”」を売り出して行こうと、官民一体で誘致した初めての事業であったが、今年はその2年目のロードレースが、これも非常に多くの競技者や関係者、そして地域の人々のみならず全国的な注目の中で開催され大成功に終了した。
 いよいよこのイベントが地域に根付き始め、“ふるさと”の名物になりつつある。喜ばしい限りと思う。(右は、今年5月に開催されたレースの模様を紹介する「広報いいだ6月1日号」)。
 そうした中、また大きな話題として、既にニュース等でご承知の方もおられるかと思うが、ダイハツの社会人チーム「ボンシャンス」をこの飯田市へ迎えようとの動きが始まった。去る10月14日にその構想が発表され、また、この12月6日にはサポーターズクラブ立ち上げの準備会が計画されている。南信のこの地方都市に、実業団スポーツチームのベースキャンプが出来る。
 来春から長野市にを中心にプロ野球「信濃グランセローズ」がスタートするが、北が野球なら南は“自転車”。地域起こしのテーマにはぴったりだ。
 勿論、経済的サポートも大いに期待されるところだが、地域として、またこの“ふるさと”に関わる者として様々な支援の方法が考えられそうだ。是非、温かく迎え、守り育てて行かれれば、“飯田”を、全国にそして世界に発信する絶好のチャンスとなるに違いない。
 なお、このプロジェクトの仕掛け人、そして代表(チームマネージャー)は、勿論本校同窓生。高20回の熊谷秀男さん(龍江)です。ご活躍に期待すると共に、少しでもお手伝いが出来たらと願うところです。
 ボンシャンス発表会の模様(信濃毎日新聞記事)「サポーターズクラブ」準備会のお知らせは、こちらに。

(槙原 英勝)

 

飯田市 下栗の里
 写真は上村下栗の里です。写真展やポスターなどでよく見かけるのと、少し違いますね。下栗の里の写真というと、たいてい屋根に石やタイヤがのっている貧しそうな小さな家を写したものが多いからです。
 現実はこのように、新しく立派な家屋が建ち並んでいます。皆さん張り切って生活しているのです。写真は、本棟を新築中のある民家のようすです。
 12月は「神々が棲む里」遠山郷では、平安時代から続く国の重要無形民俗文化財「遠山霜月祭り」の月です。ここ下栗の里でも、にぎやかに行われるそうです。
 民宿が2軒あります。38人収容できる本格的な宿泊施設「高原ロッジ下栗」もあります。
 来年はぜひ「日本のチロル」下栗の里に宿泊し、海抜1000メートル、斜度30度のきびしくも美しい大地に住む人々の、生活態度や心の温もりを学びたいと願っています。

私のホームページ「日刊ふるさと情報便」もどうぞ。 http://www.mis.janis.or.jp/~harahiro/

(原 博司)

 

 

 

昔と変わらない風景・飯田線
 今は、伊那谷でも、建物や道路、交通手段など旧いものは消え、新しいものに変えられている。だが、その中で、飯田線はほとんど昔のままであった。
 多分、今でも、かなりの高校生などが、飯田線を通学通勤の手段の一つとしているであろうと思われるが、マイカー時代以前は、飯田線は通学や旅など中遠距離移動手段のすべてであったことを思い出す。飯田線が伊那谷と全国をつないでいたのである。
  私たち飯田の南の方から飯田(高松)高校に通っていた生徒は、下山村駅で下車し、2キロぐらい歩いて“別府の高松”の高校に通っていたため、この駅は特別な駅である。今、この下山村駅に行ってみると、駅舎こそ変わったがプラットホームなど、ほとんど昔のままである(写真左)
。 飯田(高松)高校から三穂の自宅まで歩いて帰ったときなど、駄科駅と時又駅の間のトンネルを通り抜けたこともあるが、入り口は今でもまったく変わっていない(写真中央)。トンネルの駄科駅側の近くには、旧国道151号線が飯田線を横切る“踏み切り”があるが、ここには今でも“遠州街道踏切”と表示してある。どこも駅舎は新しくなっているものの、もっとも基本的なところはほとんど変わっていない
。 しかし、まったく変わってしまった駅があった。川路駅である。度重なる天竜川の氾濫から変わらざるを得なかったのであるが、ここでは線路の位置も駅の位置も駅舎の姿も、昔を想像することはまったく出来ない(写真右)
。 川路駅は今、閑散とした平地にぽつんと佇んでいるが、JRもこのぐらいに変化しないと生き残れないのだと主張しているかのようである。

(原 健彦)