阿島のバラ園
 最近(というか、既に5月の声を聞く頃からなのだろうと思うが)、テレビやラジオ、そして新聞等によって、全国各地から、バラの花の話題が盛んに届けられる。
 何処何処の二大バラ園のひとつだとか、今年もまた数万本のバラが見事に咲き誇っているとか、または、世界にも珍しい品種で育てるのに云十年も・・・とか、である。
 そうしたバラの花にまつわるニュースを頻繁に目にし耳にする中で、先日地元の新聞に、「喬木村阿島のバラ園」が紹介されたので、早速、その記事を頼りに訪れて見た。
 天竜川に沿った竜東一環道路を、上流に豊丘方面に向かう。直ぐそこは村堺という道路沿いの畑の中にそのバラ園があった。大平利次さんの育てられるバラ園で、100種160株のバラが、8アールの畑に色とりどりの賑わいを見せ迎えてくれた。
 見頃としてはそろそろ終盤の様子であったが、赤、ピンク、黄色、白・・・等彩り豊かに、また芳しい香りを残して、丹誠込めて育てられた花々が、安らぎの嬉しい一時を与えてくれる。
 ところで、昨年の今頃は伊久間の「ポピー」を紹介したと思うし、またその前には九十九谷の「くりん草」もこのコーナーに登場して貰ったと記憶する。更には、昔から有名な阿島の「大藤」等々、喬木村はこの時期、正に、花で満開である。是非一度、今頃の喬木村へ足を運んでいただければと、ふるさとの「花の喬木村」をご推薦申し上げたい。

(槙原 英勝)

  

三つの雪 (こじ付け題)
 * 総会の季節。 6月15日初の各学年当番幹事の20年度総会がシルクホテルで開催される。19年度同窓会総会は、「神明閣オオミヤ」の最後の日6月3日に行われた。その時 原哲夫さん(高19)「失った光、得た光」の特別講演と、牧内雪彦さん(高1)台本、神田陽司講談師の「椋鳩十のふるさと青春挿話」講談があったのは、記憶に新しい。今年も「飯田ふるさと講談」が6月7日飯田市公民館にやってくる。その談目に松尾多勢子の名前があったので、思い出し、載せてみた。なぜここに在るのかは、ぜんぜん知らない。大宮神社横「白雪稲荷社」境内。

 * もう1つの写真 飯田高校校門の「なんじゃもんじゃ」満開。 学名Chionanthus retusus Lindl.et paxton(雪のように白い花) 和名「ヒトツバタゴ」 中国原産 日本は、対馬・愛知・岐阜・長野南部(木曽川沿い)に、不連続分布している。岐阜県には村の樹に指定されたり 校章にも起用、国指定天然記念物に指定されている樹もあり、ほとんどは、天然記念物として保護されている。希少種で、環境省「レッドリスト」に載っている。全国各地に移植され、「ヒトツバタゴ、サミット」なるものが、最近開催されたとか。命名の由来 調べると 柳田国男・水戸黄門まで出てくる。季節はずれの雪のように真っ白くなることから「なんじゃ この木は?」⇒別名「なんじゃもんじゃ」に。 和名はトネリコ(別名 田子)の樹によく似ているが、複葉でないから、「1つ葉田子」⇒「ヒトツバタゴ」に、なんとユニークな名でしょう。柳田国男は「名前は不明だ」と。数少ない天然記念物級の樹が、校門に在るのは、知らなかった。

(斎藤 純)

原 博司先生を偲ぶ
 ホームページ運営委員会の初代委員長、原 博司先生(高2回)が亡くなられ、告別式・葬儀が5月18日(日)に息子さんと同居されていた名古屋で執り行われました。
 個人的な事情で私は10日間ほど飯田を留守にしており、原先生が亡くなられた事を知ったのは28日(水)の夜でした。昨年の12月7日の夜、丘の上でホームページ委員会の会議が開かれ、原先生のお元気な姿を拝見しましたが、それが最後になってしまいました。

 原先生との出会いは、私が緑ヶ丘中学校の2年生だった昭和48年の4月でした。1年間英語を教えていただきました。2度目の出会いは、今から8年前の6月か7月でした。私がホームページ運営委員になって間もない頃で、顔合わせ委員会が開かれた時です。
 最初の頃は、ふるさととは関係ない題材を原稿にしたりしたため、原先生からダメ出しを受けた事もありました。
 昨年12月の委員会の会議の席で、息子さんと同居するため名古屋に転居する旨を表明され、「ふるさと情報便」への投稿も今年の1月が最後となりました。
 6月15日の同窓会総会では、原先生に再会できる事を楽しみにしておりましたが、非常に残念です。ご冥福をお祈りいたします。
 (写真は6月1日午前11時11分に撮影した風越山。今年7回目を迎えた「風越山を撮ろう」。原先生も毎年出品されていました。)

(高橋 秀治)