収穫の秋・紅葉の秋
飯田・下伊那地区の稲刈りが行われている最中ですが、4日から5日にかけて殆どの田んぼの稲刈りが終るのではないでしょうか。
当地区では、間もなく紅葉シーズンが始まります。いくつかのスポットをご紹介しましょう。 夕立神パノラマ公園(大鹿村) - 展望台は標高1620メートルの所にあります。
不動滝(高森町) - 長野県自然百選にも選ばれたこの滝は、高さ50メートル、幅10メートル余りです。
しらびそ高原(飯田市遠山郷) - 標高1900メートルの所にあるので、最も早く紅葉のシーズンを迎えます。
治部坂高原(阿智村) - 標高1200メートル。
富士見台高原ロープウェイ ヘブンスそのはら(阿智村) - ロープウェイの全長は2500メートル、標高差は600メートルあります。ロープウェイの料金は2000円(中学生以下半額)です。
羽衣崎(天龍村) - 為栗駅と平岡駅の中間にあるので、飯田線の車窓からも紅葉を眺められます。 小戸名渓谷(根羽村) - 根羽村から茶臼山を経由して阿南町はと続く道沿いにあります。 天気の良い日に出かけられてはいかがでしょうか。
さて、今月のオススメは「曹操」上下巻 (陳舜臣 著 中公文庫)です。「三国志」に登場する「清平(平和時)の姦賊、乱世の英雄」と評された男の物語です。この本では、24歳から亡くなる66歳までの生涯が書かれています。
(写真は9月27日に撮影。竜丘地区の田んぼ。)
(高橋 秀治)
戦いの時、来る!
今月の(というか、これから12月を目指しての)話題は何と言っても“ラグビー”でしょう。いよいよ10年ぶりの「花園」出場へ向けて、同窓生の皆さんの力強い応戦が期待される時となりました。
そしてまた今年は、ラグビー班創部60年という節目にあたる年。チームもこの期待に十分沿い得る力を付け充実しています。「間違いなし」と言っても過言では無いでしょう。(勿論、素人筆者の強い思い入れによる分析と判断ではありますが・・)
写真は、去る9月20・21日の両日に亘って飯田市総合運動場(飯田市松尾)で繰り広げられた、南信州クラブ(仮称:小澤健代表(高28回))主催による、第1回信静高校ラグビー交流大会の熱戦の様子です。(9/23付「南信州新聞」から転載させていただきました)
静岡県代表として名高い「東海大学付属翔洋高校」を招待しての二日間。特に、二日目の21日は、正に豪雨の中、最悪のコンディションにも拘わらず、27対14で快勝。
今年の我が飯田高校ラグビー班フィフティーン。強いフォワードに走るバックス、そして全員の果敢なタックルと、これまでにないチームに仕上がっています。いよいよ「花園のキップは近い」との揺るぎない感触を得たところです。
20日にはラグビー班創部60周年の記念現役激励会が市内「平安閣」で盛大に開催され、多くの熱いメッセージが寄せられたとのこと。時、正に来たり。同窓会そして地域を上げて声援を送りましょう。
ここ(南信州、信州日報)をクリックすると、交流大会や60周年記念・激励会の模様を伝える地元新聞(PDF版)をご覧いただけます。是非、お訪ね下さい。
(槙原 英勝)
今年最後を飾る飯田の花火から10月各種イベントへ
7月初旬から始まった各神社の奉納花火が9月28日飯田市山本七久里神社の祭典・10月に入ってもなお続き、ほぼ終わる。
2ヶ月以上毎週ダブっての煙火。改めて飯田地方の花火好きを感じた。全国煙火許可数統計からも、静岡県、長野県、愛知県、北海道・・・順で2位 長野県では、下伊那、長野、松本、諏訪・・・で第1位 下伊那では飯田、阿南、松川の順である。古くは、1712年今宮神社にて打上げ、5年後に隅田川にて打ち上げた、との記録があるだけに、全国から見ても、静岡に継ぎ2番目の速さ、武田信玄の狼煙台にも影響している。
明治11年、長野市に明治天皇が来られた際、飯田の花火を高く評価されたとの記録もあるが、当時飯田から、どうやって運んだのか。その後 信州飯田の花火は、岡崎・水戸・岐阜とともに四大花火といわれ、大会でも何度も優勝している。戦争にて中断し 花火事故で中断を繰り返しながらも、なお盛んになる。上郷、内山花火工場爆発、浜井場小学校・飯田高校の窓ガラスが割れた事も、生々しい語り草になっている。
下伊那独特の大三国花火、新作新作と改良された花火、各氏子が総力を結集して行う奉納煙火、飯田の底力を感じる。七久里神社祭典、飯田市山本七地区の代表(禊ぎされた年男)7名が、「力士の力自慢」由来の見事な注連縄を付け、三国の火の粉を被りながらの勇壮に、豪快に桶をかざしての勇勢、多くの観客、プロ・アマカメラマンを魅了した。
10月に入り、古くからの伝統を今も引き継いでの、清内路の手つくり花火も、有名である。まだまだ秋祭りが続くが、10月13日体育の日 大正時代から続く「風越登山マラソン」・「大鹿歌舞伎」・静岡県堺の国盗り綱引き 等各地でイベント盛り沢山。飯田のイベント情報 下伊那地方事務所公式サイト(下記のページ)を開いてください。今から、来年の計画を。
http://www.pref.nagano.jp/xtihou/simoina/syoukou/event1.htm/
(写真は、南信州新聞に記載された七久里神社桶振りと、国盗り綱引き)
(斎藤 純)
信玄の“のろし”の実証
9月21日(日)午前9時を期して、飯伊地方の“信玄の狼煙台”があったといわれる高台や山の頂、峠などで一斉に狼煙が上げられた。
地方紙の記事によれば、この地方の公民館長や歴史研究者が、信玄が南信州の三州街道沿いに“のろし台”をいくつも作って通信の手段として活用したという史実を明らかにしようと、「武田信玄ののろし会」を結成し、このイベントを企画したとのことである。
青竹三本を組み合わせ、交差部分に藁を敷いて、杉の葉を燃やして白煙を出したそうである。根羽、平谷、浪合、阿智、山本、上久堅、・・・、高森など11か所で狼煙を上げる予定であったそうであるが、当日は、あいにく雲が低く、狼煙を確認できないところもあった。
飯田市山本の浄玄寺近くは、そのほぼ真東に山本・久米の城山城址公園、上久堅の神之峰があり、少し東南に水晶山(伊豆木と箱川の堺で目前)、南西には、小さな山の影になるが、駒場の城山、更に遥か遠く蛇峠山から、立ち上る狼煙を同時に見ることができるはずであった。しかし、低く垂れこめた雲のせいで予測通りに見えたのは久米の城山城址と神之峰、水晶山から立ち上る煙だけであった。
(写真左:左に遠く神之峰の白い狼煙、右に久米城址公園の風に流れる狼煙。水晶山の煙は久米城址公園のさらに右に眺めることができた)。また、駒場の城山の“のろし台”は国道に非常に近く、9時30分頃、車の中から眺めることができたが。
伊那谷と、遠くは三河までをつなぐ、この地方で最も重要な位置を占めていたと推察される浪合の蛇峠山は白煙を確認することはできなかったのが残念であった。しかし、10月2日に浪合・もみじ平らに行って眺めてみると、現在の通信手段の電波中継用アンテナが、近づいた秋の中に立っていた(写真右)。天気さえ良ければ十分に高くまで白煙を立ち上らせていたことであろう。
2006年6月の“ふるさと情報便”に“のろし台”と、現代の電波通信の中継点との一致についての感想を述べたが、実際に実験してみようという方々(「武田信玄ののろし会」)が現れ、実施されたことに感激している。
(原 健彦)