相次ぐ快挙 正しく文武両道
 飯田高校花園への盛り上がりの中、サッカー新人戦が11月16・17日千曲市サッカー場で開かれ、飯田高校が、昭和48年以来の35年ぶりに3位を勝ち取る快挙を見せた。
 地元新聞南信州新聞社が、11月2日以来 飯田高校ラクビーの特集をくみ、飯田高校一色の頁まであり、毎日「飯田ラグ班12.27最高の舞台へ」選手一人一人の守備と、監督のコメントを含め連載されている時、割り込むような快挙報道、正しく飯田高校の伝統、文武両道である。
 1つのエピソード、ラクビーの試合応援席、選手がミスった時、ある父兄「馬鹿野郎何してるんだ!」ラクビーOB「馬鹿じゃない、頭いいから、今に見ていろ」と一同爆笑した、期待に沿ってくれた。皆さんご承知のように県下でも優秀な進学校になっているこの頃、学校に練習風景を見に行くこともしばしばあるが、吹奏楽の音が聞こえ、狭いところで、野球、ラクビー、バレー、テニス、サッカーと汗と泥まみれで、頑張っている。
 ほんの3年間だけの学び舎であるが青春を謳歌してほしい、これが1生の思い出になる事も忘れないで。

 *もう1つの快挙
 11月15・16日第57回長野県縦断駅伝で、飯田下伊那チームが51年半世紀ぶりの優勝を果たした。サッカーも、監督・選手過去の栄光を知らない年代だが、ラクビー花園の1つの快挙が、大きく響いていることは間違いない。長野市から、飯田市まで、217,1Kmを15チームが参加した。
 初日は、長野市から岡谷市、12区間、首位4位だったが7区佐久長聖高の松下巧が区間新を出すなど単独2位でレースを展開、しかし11区でアクシデントが起こり失速し、4位に終わった。
 2日目13区走者 勾田達也(一般)の好走で2位に浮上、その後佐久長聖高コンビが区間賞の走りを見せ、トップに踊り出た。飯田入りは、小雨降る寒い1日、2位との差を引き離し、アンカー21区三沢健(飯田米穀)が、上郷竜坂を登り、飯田高校前を通過した。小伝馬町では、浜井場小学校の金管バンドに送られ、ゴールへ、待ち構えた観衆の渦へと消えた。走者1人1人は、次の走者の事を考えて走ったというが、逆転又逆転で勝ち得たものは、21人の、チームワークに尽きる。
(写真は、南信州新聞社・信濃毎日新聞社から)

(斎藤 純)

 


冬の柿畑
 師走に入りました。南信州の晩秋の風景も初冬の景色へと変わってゆきます。その中で、いまだに秋の実りの風景をそのまま残しているものがあります。市田柿の畑です。
 (写真左は飯田市山本。柿畑の木の間から赤石山塊を望む。右は風越山を背景にした飯田市伊賀良の柿畑)
 市田柿は、お歳暮として南信州から全国に送られる代表的な商品の一つとして有名です。が、特に最近は、柿の実の収穫、皮むき、“柿すだれ”の名で有名な柿干し、室内乾燥、天日乾燥と柿もみ、白い粉が出てくるまで作業などなど、更にその間の品質管理が大変。そのため高齢化の進む農家では市田柿を作ることを止めたところもあるようです。その結果、柿の木の林立する畑に、柿の実をいっぱいにつけた柿の木がいつまでも残ることになりました。
 この柿の実は、雪が降り野山に食べるものがなくなった時、小鳥たちが来て食べつくすまで、木の枝にのこされたままです。山に木の実が少ない年などは、山間の柿畑には、猿や熊なども食べに来ます。南信州の新しい風景の一つとなってしまいました。

(原 健彦)

 
 いよいよ、冬本番へ?
 11月も下旬に入った19日(水)、朝から予報通りの寒々しい天候である。昼前に大休方面へ出掛ける用件があって大平街道を登って行くと、自動車のウインドウに何やら雨粒と違うものがチラホラと落ちかかる。今年初めての“雪”である。
 昼には職場(市内松尾)に帰ってしまったので直接その景色を見たわけでは無いのだが、昼過ぎから夕方にかけて中心市街地では時折吹雪のような降雪があったとのこと。また、南信濃から職場を訪ねていただいた方からは「小川路トンネルの向こう側はひどい吹雪で・・・」との情報も。一寸早い雪降りに、これから先が案じられるところである。
 明けて20日の風越山は、山頂にうっすらと雪を戴いて朝日に輝いた。勿論、その奥の摺古木や安平路方面は真っ白であった。
 今年の初雪は平年より11日早いとのこと。いよいよ本格的な冬の到来か?季節の変化の目まぐるしい時である。

(槙原 英勝)

 

今年を振り返って
 12月1日の朝、出勤する際にクルマの温度計を見ると、気温は氷点下3度でした。本格的な冬の訪れを感じましたが、その後3日間は0度くらいが続いています。
 今年もいろいろな事がありましたが、私にとっての最も衝撃的だった出来事は、生まれて初めての入院・手術です。5月下旬に新宿区内の病院に10日間入院しましたが、文字通り白衣の天使が朝も昼も晩も真夜中も手を握ってくれて、夢のようなひとときでした。
 一番うれしかった事は、来年大学を卒業する予定の長男が地元に就職口を見つけ、4月から自宅から通勤する事が決まった事でしょう。悩める事と言えば、2年間大学の寮生活を送ってきた長女がひとり暮らしをしたいと言い始めた事です。まだ結論は出ていませんが、心配の種が一つ増えてしまいました。
 あと4週間足らず、何が起きるかわかりませんが、どうやら家族6人でオトシトリを迎える事が出来そうです。

 (写真はいずれも12月1日に撮影。フロント・ガラスの凍りついたクルマと雪をかぶった南アルプス。)

(高橋 秀治)