ちょっと不気味な暖かい冬

 この暖かい冬はこのまま終わってしまうのか?と近くの農家の方々は不安がっています。昨年の2月、3月の“ふるさと情報便”を見ると、掲載した写真には雪が溢れています。阿智村伍和寺尾の座禅草は、3月になってから雪の中に顔を出していました。今年は、2月末、群生地には雪も全くなく、もうあちこちで仏炎苞(ぶつえんほう)が開き、花茎を見せています(写真左)。
 3月1日の日曜日、治部坂高原スキー場でも、文明の利器のおかげでゲレンデには雪もあり、愛知、静岡などからの家族ずれのスキー客で駐車場があふれ、賑わっています。が、周辺の山々にはほとんど雪がありません(写真右。奥の山は大川入山:1907.7m)。
  40年間以上雪のない茨城などに住んでいた前期?高齢者には、暖かい信州の冬は歓迎なのですが、世界を覆う現在の経済状況と同じように不気味に感じてしまいます。

 

(原 健彦)

天竜橋架け替え工事

 

 2月中旬に時又から龍江に渡ろうとして、びっくりしてしまいました。天竜橋の下流側に新しい橋を建設中でした。
 架け替え工事の話は知っていましたが、普段は全く利用しない橋なので、ここまで工事が進んでいるとは思いも寄りませんでした。
 本来ならば、田中前知事の任期中に着工予定だったはずが、誰かが田中氏に送った(らしい)1通のメールにより着工が遅れたという経緯があります。
 3月8日(日)には、この橋の上流で初午はだかまつりが行われます。

(写真は3月1日に撮影した新しい天竜橋。)

(高橋 秀治)

 

リニア新幹線(続報)


 今年の1月1日付け地元新聞の大見出し、「直線ルートで飯田駅を–リニア誘致へ正念場の年–」のとおり、”ふるさと”飯田下伊那地方にとって、最も大きな関心事のこの巨大プロジェクトが、いよいよ現実味を帯びて身近になりつつある。
 今最大のテーマはそのルートや中間駅の問題で、この選定をめぐって沿線地域の動きが活発になりつつある。
 これは小生の穿った見方かも知れないが、従来からこの問題に官民挙げて熱心に取り組んで来たこの飯伊地方に比べて、他の地域や県全体としては、これまで、どちらかというと余り関心が無いのではないかとも感じていたところであったが、昨年、JR東海が南アルプス貫通トンネルによる「直線ルート」の実現性を発表すると、俄にあちこちから喧しく色々な話しが聞こえ出した。
 それぞれに様々な思いや目論見があって、当然のことと言えば当然でもあるが、2025年開業には、出来るだけ早期にルート問題が解決する必要があり、先ずこの最初の関門が無事に突破されることを願うところである。
 そして、いよいよこの地方への駅の設置へと、未来に夢が脹らむ。
 そのためにも、やはり地域住民の意識と運動の高まりこそが大切と、先頃、橋南まちづくり委員会の手によってアピール看板が橋南公民館(元復興記念館)横の公園内、蒸気機関車D51に取り付けられた。飯田駅の設置を推進する地域のこの運動、群市民の中に展開して盛り上がっていくことが期待される。

(槙原 英勝)

カンボジアに「飯田学校」

 

 南信州新聞2月22日付 飯田学校の記事が記載された。
 「カンボジアに学校を」は島田紳助が、TV行列が出来る法律相談所の中で芸能人等著名人の描いた絵を集め それを資金に学校建設に寄与した事は、有名である。
 それ以前より、飯田のNPO法人のこの企画に共感した三五会(高12回)が、チャリティーコンサートなど開いて募金活動を開始していた。
 最初から携わっていた池田延史さん(高12)に写真と原稿をいただけましたので記載します。

「高12回が支援した、カンボジア飯田学校が開校」
 

 「カンボジアの伝統織物であるクメール絹織物を復活させようと異国の地で心血を注いでいる森本喜久男氏に共鳴し、そこに住む伝統の森の住民の教育を支援して活動する「NPO法人ふるさと南信州緑の基金」の呼びかけによりカンボジアへ学校を建設しようと3年前飯田で募金集めを行った高12回「飯田三五会」のその後についてお伝えします。
 飯田市にゆかりのあるプラハ在住の若きピアニスト竹内英仁さんを招聘し、三五会が実行委員となり飯田文化会館でコンサートを開き、大盛況で多くの皆さんから資金の提供をいただきました。
 その収益金により「飯田学校」建設の運びとなり昨年の8月には地鎮祭を挙行いよいよ開校式典となりました。
 関係者によるスタディツアーが2月1日から一週間の予定で実施され、同行した高12回の池田氏からその報告がありました。
 池田氏はコンサートの実行委員長でもあり今回の開校式典では市長のメッセージを代読するという名誉に大変喜んでいました。
 クメール絹織物を昔ながらの織機により若い娘さんたちがわずかの手間賃で仕事をしていますがその傍らでは2歳~3歳の幼児が裸で遊んでいます。でもこの子どもたちの眼は輝き、生きるということに幸せを感じていることが切実に感じとれました。1970年から続いた内戦により荒廃化したカンボジアから立ち直ろうと頑張っている人々を見ると今回の支援の意義がけっして無駄ではないと池田氏は語っていました。
 まだまだ設備、人材など支援の道は半ばではあるが、出来るかぎりNPOの皆さんの活動を支援していきたいと言っていました。
 今回のツアーではアンコールワットの見学はもとより、スナーダークマエ孤児院での須坂園芸高校の3名の生徒さんによる紙漉き指導やトンレサップ湖と周辺の農村視察や高床住居の村の生活など豊かな物の溢れた日本の生活とはかけ離れた現実を見るにつけ考えさせられる場面が多々ありました。」

 * 正に 今年度総会において、追加承認された会則「地域社会に貢献」学年を挙げての貢献である。 

(斎藤 純)