“歩け歩け”の季節


 今年で23回目という「飯田やまびこマーチ」が、この4月25日、26日の二日間、飯田市内各地区を廻るコースで開催された。
 今回、特に初日の25日は3月下旬並みという冷え込みの中、時折雨脚も強く生憎の天候ではあったが、全国から集まった3000人のウオーカーが、30km~5kmまでのそれぞれ思い思いのコースに挑戦し、新緑の伊那谷を満喫し多くの市民との触れ合いを楽しんだとのこと。
 このイベントも「人形劇フェスティバル」と同様に、確実に“ふるさと”を全国に発信する機会となり定着して来たことを喜ばしく思い、またこうした素晴らしい自然や風土に恵まれた地域であることを誇らしく感じる。
 我が家でも、確かこの催しの初回、二回目頃と思うが、未だ小学生であった子供たちを連れて参加したことがあった。途中で子どもが迷子になって、捜索騒ぎとなるようなエピソードも懐かしく振り返りながら、来年は出来たら久しぶりに何処かのコースを歩いて見ようかとも思っている。そして、30回、50回と継続、発展して行って貰いたいと願うものである。
 今、ふるさとは正に“歩け歩け”に絶好の季節。

(槙原 英勝)

恵那山の山開きと伊那谷側からの恵那山の姿

 

 4月29日は恵那山・富士見台の山開き。長野県側からは阿智村村長はじめ関係者、岐阜県側からは中津川市からの多数の関係者が参列。
 恵那山は、天龍川と木曾川を麓に抱えるが、それぞれの側から見る姿は非常に異なっている。富士見台から眺めると、恵那山頂からは、木曾川流域、藤村の馬篭や中津川の街へはいきなり斜面が下り(写真右)、天龍川側へはいくつもの小さな山襞を織って緩やかに下っている(写真左)ことがわかる。
 このため、中津川市などからは、恵那山は目前に大きく立ちはだかるが、天龍川流域、伊那谷の村や町からは、いくつかの山の向こうに、はるかに恵那山を望むことになる。このためか深田久弥の恵那山の姿についての描写は中津川、馬篭側からのものになっている。
 火山の河口の様に見える伊那谷側からの姿(写真下)は非常に美しく、気に入っているのであるが取り上げられる機会が少なく少々残念である。
 

(原 健彦)

 
授業が公開されます

 

  5月9日(土)の午後、飯田高校の授業が公開されます。この機会に母校を見学されてはいかがでしょうか。
 飯田高校の授業公開は、全学年、全教科、全クラスが対象で、同日の12時50分から13時50分までの第4時限に行われます。
 公開の対象者となるのは、生徒の保護者をはじめ、地域の皆さんや中学生などとなっているため、早い話がどなたでも授業を参観する事が出来、事前の申し込みは不要です。
 クルマで行かれる場合は係員の指示に従って駐車していただき、正面玄関で受付を済ませ、授業を参観した後にアンケートに協力していただく事になっています。
 さらに詳しい事をお知りになりたい方は、当HPのトップページからリンクしている飯田高校のホームページをご覧下さい。

 (写真は自宅から撮影した天竜川両岸の様子と自宅付近のツツジ)

(高橋 秀治)

今年も定期総会の時期

 

 

  今年も定期総会が6月28日マリエール飯田にて 午後1時受付で開催される。今年の当番幹事は高13回であるが、すでに昨年より活動開始している。特別公演も近藤政彰さん(高13回)七久里・白山・今宮神社等の宮司をされていて、馴染み深い方である 題目は「飯田のこころ」。事務局では、幅広く参加を呼びかけている。詳しくは飯田高校同窓会報61号で。
 それに先駆け、4月25日 飯田高校第1会議室において、役員会が開かれた、この会の召集範囲は、常任役員、各支部長、学年幹事長、学校である、遠くは、中京支部からも来校された。
 会に入る前に、アトラクションとして、今年1年生が15名入り大所帯になった野球班の練習見学だったが、あいにくの大雨で、会議室にて激励会に変更、主将・監督から、力強い表明があり、ラグビー花園・野球甲子園の夢を見た。同窓会からは、ボールのプレゼントと激励の言葉があった。
 議事は、総会資料、役員改選の年でもあり、新会則の初めての改選での確認である。特に今年は、創立110年の前の年、「ふるさとを元気にし隊!」をタイトルに掲げ、110周年委員会(中島清委員長)を立ち上げ、骨子が出来 活動が開始されている。内容は、昨年度規約改正の折、「地域社会に貢献する」の項目を加えた、これを受け「自分の出来る事を、地域に役立てて貰おう」と委員会では、人材確保と、派遣受け入れと紹介を組織だってする。各学校、公民館、地域ボランティア等、手弁当精神で スポーツ・勉強・技術・庭剪定等々 事務局では、受け入れを開始している。
 2時間以上の会議が終わり、近くの「うおあみ」にて懇親会、酒が入れば、色々意見も出て、良い懇親の場である。

(斎藤 純)