夏の終わり・大平街道を行く

 8月30日、夏の終わりの日曜日の大平宿街道をドライブした。今までは、街道の早春の素晴らしい緑、秋は紅葉の美しさに目を取られ、街道に沿った澤などの名など、ほとんど気にすることがなかった。
 今回走って、いろいろな“澤”、“洞”、“平”があることを知った。飯田の市街地を抜け大平街道へ。猿庫の泉の入口を過ぎてしばらくすると“大深澤”という澤があり(写真上左)、滝が見える。更に進むと松川ダム湖近くに“佐倉霊神社”の碑、その先に“松川入大山祇神社”の新しい碑が立っている。続いて“小中落(こちゅうらく)”、“桐の木澤”、“陣澤(じんざわ)”、そして“ツンボ平”と続く。
 しばらくして、松川を渡る“いちのせはし”(写真上中央)。大きく左に曲がるとすぐに、大きな水源涵養保安林に入る林道(松川入り線)が別れる。この保安林は、安平路山や摺古木山山頂まで続く。
 ここから“下井戸澤”、“中井戸澤”、“上井戸澤”(写真上右)。このあたりに松尾の財産区有林の標識がある。少し進むと“勝負平”という場所があった。ここには“勝負平住吉屋発祥之地”と彫られた石碑、観音像などが建っている。平成十七年の建立でまだ新しい。
 “杉の木澤”、“大垂澤(おおたるさわ)”、“小垂澤(こたるさわ)”、の後、“蟹の洞”である。蟹の洞は、さすがに“蟹”の出そうな岩が敷き詰められた洞であった。この先は“飯田峠(1236m)である。ここから下りとなり、”馬場薙(ばばなぎ)”、“長者洞”、“茱の木澤(ぐみのきさわ)”、“宮の平”、“宮の洞”、“鰍澤(かじかざわ)”と続き、阿智川の上流の黒川を渡ると大平宿(写真下)に入る。“澤”、“平”、“洞”は、この街道が賑わった時代に、なにかの謂れがあり、これらの名前がついたものと推察されるが、その理由が分からないのが残念である。

(原 健彦)

 


 静岡地震「緊急速報」を経験して

 先月、8月11日早朝の静岡県駿河湾を震源地とする地震。静岡を中心に負傷者の発生、家屋とか道路の損壊、新幹線や高速道路への影響と、大きな被害を被った。
 隣接するこの故郷、飯田市下伊那地方では、お宮の石灯籠が幾つか倒れたとか、多少の土砂崩落程度で、大事に至る被害が無かったのは幸いだが、久しぶりに大きな揺れに肝を冷やした人が多かった。そして、故郷を離れている方々の多くが、「どうだった?」{大丈夫?」と、電話やメールで安否を気遣われたことであったと思う。
 かく言う小生であるが、実はあの日は普段より少々遅れて朝のウオーキングに出掛けたところで、何時ものとおりポケットラジオのイヤホーンを耳に突っ込み歩き始め、ある小さな橋に差し掛かろうとする時であった。
 突然ニュースが中断して「緊急地震速報」とのアナウンス。咄嗟に、”この橋を渡ろうかそれとも立ち止まろうか”と迷ったが、「短い橋だから渡ってしまおう」と、今から思えばそれが正しい判断であったか否か極めて疑問に思うところだが、とにかくその時はそう決めて、少々早足で橋を渡り切ったものであった。
 特に変わった様子もないので暫く散歩を続けると、ラジオからは次々と「静岡で震度6の地震発生」を告げて来た。
 小生、歩いて(動いて)いたいて為だと思うのだが、この揺れを全く感じることが無かったので、正にそのラジオの報道によって、この地方も震度5弱という大きな地震であったことを知るところであり、また、ほどなく付近の家からもパラパラと家人が外へ出て様子を伺う姿も見られ、その驚きからもかなりの震度であったことを確かめたところであった。
 (その後、同期の男にこの話しをしたら、「あの地震に気が付かないとは、お前さんも余程老化していよいよ”鈍”になったか」と呆れられたところであるが・・)
 後にテレビや新聞で伝えられるところによると、この「緊急速報」、震源に近いところでは勿論、3秒、4秒という時間差だが、震度4の東京では約30秒の猶予時間があったとのこと。小生の今回の経験からも、「速報」がキャッチできれば、「大きな机の下に」とか「ものの倒れない安全な場所へ」など、家族に声をかけて身を守るための判断と行動は不可能ではないものと考えられる。
 元より、テレビやラジオを視聴していればということではあり、情報伝達をどの様にするかという基本的な問題もあるが、予知・予報、速報システムがより有効に整備、実行されると共に、更にはそれが適切に活用されて、安全の確保に機能、貢献することを願うものである。
 右は、「緊急地震速報の猶予時間」として新聞に報道された資料のコピー。

(槙原 英勝)

 

 

香りの飯田
 今年3回目のラベンダー報告、飯田市橋南地区が取り組んだ 生ごみで育てるラベンダーが、刈り入れの時期に入った。
 北海道富良野のように広大な土地で育てるのでなく、飯田市街ど真ん中 通り町の分離帯一面に香りのラベンダーを育てようとの取り組み。しかも飯田市から出る生ごみ(年間180トン内橋南地区80トン)を、農家とタイアップして肥料とするリサイクルを考えた事業である。
 人形劇の飯田 りんご並木の飯田 香りの飯田 並んでPR 出来る日は近い、8月23日阿智中央公民館に於いて、社会教育全国集会が開かれ、飯田からも各公民館が取り組んでいる多くの事例が発表され、ラベンダーの取り組も紹介された,又水引であしらった匂い袋を販売し好評を博した。
 りんご並木は、飯田市立飯田東中学校の生徒会が管理している事はご存知と思いますが、このラベンダーは、地域はもちろんのこと、追手町小学校の児童が、自分のプレートを付け大切に管理している。一般公開して、刈り取られたラベンダーは各家庭の持ち帰えったり、子ども会で、匂い袋を作ったり、公民館ではラベンダースティック作り等利用方法の講習会を開いたり、正に香りの飯田を演出している。この事業は、手軽に少しの土地で出来る事、りんごと一緒で、収穫がある事、小さな子供達が楽しみながら出来る事等 ずっと継続される事でしょう。
 (写真は一般の方に、摘み取り自由の看板と、「アロマ環境協会賞」受賞記念柱)

(斎藤 純)


  

増えた?中華料理店
 日中は相変わらず暑く、ミンミンゼミが鳴いていますが、夜になると虫の声が聞こえる季節になりました。9月の訪れと共に、ツクツクボウシもどこかへ消えたようです。
 さて、自分の身の回りだけかも知れませんが、中華料理店が増えています。ここ1年くらいの間に、3つの店(スナック、居酒屋、焼肉店)が相次いで営業をやめ、それらを引き継いだのはいずれも中華料理店でした。
 私が中華料理店を利用するのは、年に1~2回ですので、それらの店をどんなお客さんが利用しているのかはわかりませんが、飯田市に住む中国人の増加と関係があるのでしょうか?
 中国人の増加と共に、昔は無かった中華料理の食材を扱う店が出来、中国人のお嬢さんたちがその店を利用しているのをよく見かけます。彼女たちの殆どは、坂の多い土地であるにもかかわらず、自転車を利用しています。自転車を連ねて出勤する姿をよく見かけます。
 彼女たちは、どうして働く場所として飯田を選んだのでしょうか?ちょっと興味があります。

(高橋 秀治)