南信州の冬の訪れ
 子供の頃は、冬の訪れを特に感じた記憶がない。いつの間にか秋も終わり冬になるという、ごくあたりまえの季節の移り変わりぐらいにしか感じていなかった。感受性に乏しかったのかも知れない。しかし、60歳半ばを過ぎて、北関東の雪のほとんど降らない町から信州に戻ってから、季節の移り変わりを強く感じるようになった。 冬の訪れは、やはり南アルプスが白く変わることから始まる(写真上左は大鹿村から望む赤石岳)。その後しばらくして2,000メートル級の山々が徐々に雪の化粧を始める。今年は、暖冬といわれているようであるが、これらの山々には、まだ、ほんの少ししか雪はなく、誰も、冬の訪れはまだまだ先であるかのように生活している(写真上右は奥茶臼山2,479m。写真下左は恵那山2,191m)。
 しかし、私に最も強く冬が目前に来たことを感じさせてくれるのは、この間まで普通に走っていた道路が、いきなり“冬季閉鎖”の標識が出されてゲートで閉じられてしまっている時である。
 11月末に、飯田市上村の“しらびそ高原”に出かけた。喬木村から矢筈トンネルを通り国道152号に出てから、すぐ、“しらびそ”へ向かう林道を数キロ登り、大鹿への道(蛇洞林道)と“しらびそ” への道と分岐したところでいきなりゲートが閉まっていた。その辺りで山仕事をしていた人に聞いてみると、私と同じように知らずに訪れた車が何台かあったようである。後で調べると、この道は11月17日で閉鎖されたとのこと。どこかに閉鎖を知らせる標識があったのかも知れないが誰もが見落としたということらしい。
 県道8号の大平街道は12月9日から4月9日まで閉鎖される(写真下右)。その他いくつも冬季閉鎖される県道などがあり、道路地図上でも表示されているが、閉鎖期間までは示されていない。山道を走ることが多いが、数年前は知らなかったため、いきなりの閉鎖の標識にびっくりしたものである。戻るにしろ、迂回路があるにせよ山奥では大変なのである。今は、道路閉鎖は、冬の訪れを厳しく知らせてくれるもっとも代表的なものになった。

(原 健彦)

 
 

 

熊谷元一さん(中28)に記念品
下伊那郡阿智村 岡庭一雄村長ら3人は、この度、阿智村出身の 童画・写真家で名誉村民である熊谷元一さんに、100歳の記念として、記念品を東京都清瀬市の自宅に届けた。
村長から「いつまでも元気で頑張ってください」と祝福の言葉を贈られ、「村からこんな事をしてもらいありがたい」と言葉を返された。仲間づくりの為デイサービスセンターに通い、今も変わらぬ筆筋で絵の製作をし、杖も使わす、元気に歩くなど、元気さを披露した。
また、NBS長野放送では、午後7:00から 月曜スペシャル あの時、この人、そして今「ふるさと賛歌~熊谷元一の世界~」が1時間番組で放映された。100歳で尚且つ現役 元気に活躍をされる熊谷さんの様子を伝えた。10年前 NBSが製作した同じ番組「ふるさと賛歌~熊谷元一の世界~」の1部も再放送された。変わらない活躍に驚かされる。
飯田高校の大先輩として、お元気でいつまでも活躍されん事を祈ります。
(写真は南信州新聞から)

(斎藤 純) 

  

中学校の同窓会
 11月23日(月)に、シルクプラザで緑ヶ丘中学校を昭和50年3月に卒業した学年の同窓会が開かれました。7クラスで約280名の学年でしたが、当日集ったのは約100名でした。
 “人生50年という節目の時だから”1.再会を喜び、絆を深める 2.恩師への感謝 3.ひとり一人が元気になる がテーマとして掲げられました。
 私達が中学生の頃のスターと言えば、男性では、郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎。女性では、天地真理、小柳ルミ子、南沙織だったでしょうか。「中三トリオ」もいましたね。
 午後1時に7名の恩師の先生方をお迎えして会が始まりました。物故者へ黙祷を捧げ、実行委員長、当時の生徒会長の挨拶があり、来賓の先生方の紹介、来賓の祝辞の後、全員で記念撮影をしました。
 乾杯の後はしばらく歓談しましたが、35年ぶりに会う同窓生も多く、名札を見ないと分からないほど変わってしまった同窓生(特に男性)がたくさんいました。
 当時の写真や生徒会報を編集したDVDを見たり、クラス毎の発表の場もありました。「マイムマイム」や「ジェンカ」も踊りました。
 最後に校歌を歌い、還暦をむかえる10年後に再会する事を約束して、万歳を三唱し、午後4時にお開きとなりました。
 その後はクラス毎で二次会場に向かいましたが、私達のクラスは毎年1月2日に同級会を行っているので、喫茶店で二次会をし、解散しました。
 やっぱり同級生っていいものだなあと思いました。 

(高橋 秀治)

 
 初冬の風越山を訪ねて

 先日、とある気が置けない仲間との一杯の席で、「これでも高校時代は山岳をやっていたし、今でも歩くことには自信が・・・」と自慢話に力を入れてしまった手前、また、そろそろこの「ふるさと情報便」の材料も心細くなってきた当面する課題もあって、余りにも唐突な思いつきではあったが、11月最後の日曜日、一人で初冬の風越山を目指した。
 天候は生憎の曇り空、午後には小雨もという予報で、若干の躊躇と後悔の中でも、今回を逃したら何時登れるか(登ろうと決心することができるか)と、意を決して歩き出すこととした。
 久し振りなどという話しでなく、多分、30余年振りであろうと、最後に登ったのが何時であったか殆ど記憶に無い昔のことを無理やり辿りながら、一気に、虚空蔵から奥社そして1535mの山頂へと、爽やかな汗を額にうっすらと滲ませた。
 すっかり木の葉を落とした山頂では、天気を気にしながらコンビニのおにぎりをペットボトルのお茶で流し込み、記念にどんぐりの実を2,3個も拾うと早速下山の道を引き返したところであったが、途中で行き会った登山者は僅か3名だけで(これぞれ単独行で、年恰好も40~60代かと思われる男性2名、女性1名)、この一日、飯田市民のシンボル“風越山”を独占した様な愉快な気分であった。
 伝統の風越山マラソンや元旦登山等には多くの方が参加されるし、奥の院は勿論信仰の社で信奉者も多数登られる。また、同窓の大先輩の中には、時間があれば毎週日曜日には往復されているという話しを伺ったこともあり、飯田市民に身近なこの山に改めてこうして踏み入って見て、これからもせめて一年に一度や二度は、自慢の足が動く限り挑戦して見たいものと実感したところであった。
 写真は冬枯れの風越山頂と、平成17年に大改修工事の竣工した「奥社本殿」(重要文化財)。室町時代、永正六年(1509年)建立の「奥社本殿」は、今年が500年目で、この12月13日には、白山社里宮で建立500年記念慶祝行事が催されるとのこと。

 (槙原 英勝)