三遠南信道のその後
 昨年4月に中央道飯田山本ICから天龍峡ICの間の約7キロが開通した三遠南信道。天龍川を目前にして途切れ(写真上左:天龍峡ICを天竜川の対岸から望む)、その先の工事の状況が見えず、どうなっているのかと思っていたが、天竜川を越えた龍江地区の農免道路付近の何箇所かで工事が進んでいた(写真上右)。
 しかし、国土交通省関係の予算も大きく見直されていることから、天龍峡から先がどのようになるかと心配していたが、最近の新聞(1月31日付け南信州)によれば飯田・喬木間の飯喬道路(写真下左の地図:飯田国道事務所のHPより)に20億円、青崩峠道路に3億円が配分されたとのことである。
いずれも減額されているとの話であるが、三遠南信道はこの地方の一つの大きな夢である。70歳をいくつか過ぎた身で、この“新しい秋葉街道”となるであろう道の完成を見られるとは思っていないが、この夢が細々とでも継続されると想像できることは嬉しい限りである(写真下右:山が伐採されたこれから工事がはじまる区間)。

(原 健彦)

 

 今春のオープンを待つ「クラインガルテン新野高原」
(第2次入居者募集・受付中)

 阿南町「新野」といえば、飯田から豊川・豊橋へと通じる国道151号線(遠州街道)沿線の、長野県最南端の地、“県境の地”である。
 昔から「千石平」といわれ、この山の中にこの様に広大な黄金色の田園が広がっているとは・・・と、その峠に立って見下ろした時、誰もが驚きと感激を覚える穀倉地帯であった。
 勿論、今日もそののどかな高原、農村の風景に大きな変化は無いが、やはり過疎化が急激に進む中で、空き家や不耕作の農地も目立ち、地域の再興、活性化が大きな課題となって来た。
 こうした中に、阿南町では、ドイツのクラインガルテン(農地賃借制度)を取り入れて再びこの高原を蘇らせるべく計画が持ち上がり、この春4月のオープンに向けて、滞在型市民農園「クラインガルテン新野高原」の建設が進められて来た。
 この事業、約2ha(2町歩)の敷地に、木造平屋50㎡住宅と農園を含む300~450㎡の区画を20戸分造成し、更に、日帰り市民農園(400㎡前後の農園)も15区画も整備するというもの。
 工事もほぼ順調で最後の整備が進んでおり、また同時に入居募集も行われて来たが、こちらもあと数箇所を残すのみとのことである。
 いよいよ4月から利用開始であるが、ここに訪れ利用する都市住民と地域との交流が、大いに拡大され盛んとなることが期待される。
 関連情報は、こちらのホームページ「阿南町クラインガルテン情報」を参照願います。

(槙原 英勝)

 ホントに暖冬?
 飯田地方は、2月1日の午後から2日にかけて雪が降り、新聞によると、9センチの積雪を観測したとの事でした。
 上郷あたりでは15センチ積もった所もあり、駄科でも8センチ積もりましたから、中央道より上の地区では、もっと積もったと推測されます。
 私の勤務先は松尾の明(みょう)にありますが、すでに1月に2回雪かきをしており、今回と合わせて3回目になりました。もともとこの地区は雪が少なく、これほど雪かきをした記憶がありません。
 立春とは言え、全国各地でこの冬最低の気温を記録したとの事です。もっとも、飯田地方の冷え込みはそれほどではなく、外に駐車しておいたクルマのガラスも凍ってはいませんでした。
 相変わらず朝布団から出るには時間がかかりますが、日照時間もだいぶ長くなってきました。春が待ち遠しいです。
 (写真は2月2日の朝の松尾明地区の様子。)
 

(高橋 秀治)

 

 

またまたOBも全国で活躍、飯田高校の名を膾炙せしめた

 ラグビー2回戦目は1月1日予定でしたが、その代わりに、大学駅伝・アメフト日本選手権等、テレビに釘づけの良い正月休みが出来ました。
 アメフトでは主将牧内崇志君(高51回)率いる、鹿島ディアーズが、12年ぶりの優勝を収め、しかもMVPを獲得した。我々には、馴染みの薄い競技ではあるが、ラグビー小川利貴君(現役3年)同様、高校時代は、野球部で活躍し、新潟大にて、アメフトに熱中、卒業後 鹿島に入社した。
 地元の高39年卒から高53年卒が中心になり、当時野球監督を務めた田中正俊教諭(高16回)を発起人とした、「牧内崇志君を激励する会」を発足し、新主将としてこのチームを12年ぶりに優勝に導き、その上、名誉ある最優秀選手に選ばれ、テレビ・新聞でも母校飯田高校の名を膾炙せしめた功績を讃え、下記のように祝賀会を計画しました。
 日時 2月13日(土) PM6:00より
 場所 シルクホテル(飯田市錦町)
 会費 7000円(記念品代含む)
 *賛同し、参加される方は、10日までに 発起人田中0265-52-5452 まで連絡下さい。
 (写真は信濃毎日1月4日切り抜き)

 

(斎藤 純)