飯田日中友好協会が総会
飯田日中友好協会 河原 進会長(高16回)は、第48回定期大会を喬木村防災センターにて開催した。平和記念館建設を、来年度中に着工完成させたいと発表した。
2年前の町村会会議上で建設地等の内定をし、建設資金募集をしてきたが、なかなか捗らない。「明治は遠くなりにけり」どころか昭和がどんどん遠ざかっていく、特に下伊那地方は、広大な土地を夢見て、何万人もの人が、満州に渡っている。
中国に思いを送り続けた「望郷の鐘」が響く阿智村に記念館が出来ることは、素晴らしい。
(資料は、地元信州日報新聞社トップ記事)
(斎藤 純)
教育実習
5月24日(月)から教育実習生として高58回生及び59回生を中心とした14名(男女各7名)の大学生が飯田高校に実習に来ています。
そのうち4名は高校の教員を目指しており、6月4日(金)までの2週間で実習を終えました。残りの10名は、中学校の教員を目指しており、実習は11日(金)まで続きます。
今年度は、就職に関しては「超氷河期」と言われ、求職者に対しては厳しい現状ですが、目標を目指して頑張って欲しいと思います。
6月13日(日)には同窓会の定期総会・独立110周年記念式典がシルクホテルにて開催されます。多くの同窓生のみなさんのご出席をお待ちしています。
(写真は6月1日11時11分に撮影した風越山。「風越山を撮ろう」の催しも今年で9回目を迎えました。)
(高橋 秀治)
5月半ば過ぎのこと。信濃毎日新聞の南信版に、豊丘のジャーマン・アイリスが見ごろを迎えていると、見事に咲き誇った花々の写真と共に紹介されていたので、早速、その地を訪ねてみた。
場所は豊丘神稲であるが、県道18号線(伊那街道)田村交差点から、東の山付け・上段方面へ登って行くこと約2キロ。案内看板も随所に出ているので間違えることなく誘導され、街道からは5分ほどで到着することが出来た。
この「アイリス園」を管理、運営されているのは、地元の田戸宣宏さん、ヒデ子さんご夫妻である。初めは奥さんが趣味で栽培されていたそうだが、徐々に株を増やし造園され、7年ほど前から一般に開放されるようになったとのこと。今では、約30アールの圃場に230種、1万株という規模で、見応えのある立派なアイリス園である。
ここで育てられているのジャーマン・アイリス。アヤメ属の日本代表が花菖蒲とすれば、これは欧米のアイリスの代表格という。丈夫な宿根草で、花菖蒲やあやめと異なり乾燥した土地を好むので水やりの心配はなく、庭や鉢植えで簡単に育てることが出来て、愛好者が非常に多いと言われる。
また、アヤメなどに比べ厚手で幅広な葉と、大きくフリルのついた花が特徴とのことであるが、その花の色の多彩なことに驚かされる。紫、黄色、ピンク、白、更には黒では?とも見えそうな深く濃い赤紫等々。種類別に一畝ごと綺麗に手入れされた花の全てを鑑賞するには随分と時間もかかりそうであった。
見ごろは5月下旬までとのことであるので今年は既にその時期を過ぎてしまったが、是非、来年のこの時期(概ね、5月初めから約1ヶ月間一般開放される)を忘れず訪れてみていただくことをお勧めしたい。花園に一歩足を踏み入れると、先ず、甘い香りが一面に漂い来訪を歓迎してくれる。
(槙原 英勝)
治部坂のレンゲつつじと治部坂遺跡
櫻、花桃の季節が去り、六月は“つつじ”のきれいな時期。阿智周辺では、浪合・治部坂の“レンゲつつじ”が有名であり、三十数年前に行ったときは“つつじの株”は多く、また、大きくきれいであった。昔は牧場があり、そのために土地が肥えていて“つつじ”が大きく育っていたそうである。しかし、現在は、周辺の別荘地の開発で、牧場もなくなり、つつじも痩せてほとんどの“つつじ”が非常に小さな株になってしまったそうである。写真上左(蛇峠山とレンゲつつじ)、右(レンゲつつじ)
この治部坂には、県下でも重要な治部坂遺跡があり、説明の碑が建っている。その概要は「昭和三十五年、昭和六十二年の二回にわたる発掘調査の結果、石器などが多数出土し旧石器時代の遺跡であることが確認された。発掘品は一万五千年程前の旧石器が大部分であるが、六千年~九千年前の縄文時代の石器、土器、また近世陶器片もある。発掘品は昭和六十二年文化財に認定された。旧石器時代の、郡下では最初にして最大の規模であり考古学上きわめて重要な遺跡跡地である。昭和六十二年四月阿智村教育委員会」とある。
この遺跡も、最近駐車場などの開発で、一部分が切り取られていしまった。自然や歴史の保全と経済の発展との調整は実に難しいようである。(写真下左“つつじ”、右は治部坂遺跡の説明碑)
(原 健彦)