ラグビー、3連覇を逃す
 11月3日(水・祝)の午後、長野市の南長野運動公園球技場で第90回全国高校ラグビー大会県予選の決勝戦が行われ、飯田高校ラグビー班は岡谷工業に14対26で敗れ、3連覇を逃しました。
 2年連続の顔合わせとなった決勝戦。先制(トライ)したのは岡谷工業でした。飯田もその直後に高校日本代表候補のフルバック胡桃澤選手が7人を抜いてトライ、反撃に転じました。前半は逆転に次ぐ逆転で、1度はリードを奪いましたが、終了間際にトライを決められ、12対14とリードされました。
 飯田は後半風上に立ち、敵陣深く攻め込みましたが、相手の早い出足に得点を挙げる事が出来ず、逆に岡谷工業に追加点を奪われ、突き放されました。この悔しさを胸に、来年は雪辱を果たして欲しいと思います。

  さて、今月のオススメは「知的な痴的な教養講座」(開高 健 著 集英社文庫)。

 (写真は11月28日撮影。JR飯田駅より少し北側のシルクホテルのそば。イチョウの枯れ葉を片付けている人がいました。上部に写っているのは高架橋です。)

(高橋 秀治)

  

  

南信州で眺める秋
 室生犀星の詩の一節に“故郷は遠きにありて思ふもの・・・”という詞がある。この詞尻を捉えるようではあるが、故郷の信州に戻って秋を眺めると、“遠くで想って”いるよりも、やはり目前で見る景色は新鮮である。
 私の住む昼神の隣り部落の園原では、今が紅葉の盛りで素晴らしい(写真上左は“暮白の滝”の展望台付近。上右はヘブンス園原のロープウエイより観た南アルプスの南端、光岳、池口岳方向)。南アルプスはすでに、薄く雪化粧をしている。うっかりしているうちに、冬が近くまで来ていた(写真下左は北岳、間ノ岳、塩見岳。下右は赤石岳、聖岳と手前は網掛山)。
 ふるさとでは、季節の移り変わりも、周りの素晴らしい景色が知らせてくれる。

 

(原 健彦)

ルートが決まれば、次は「飯田駅」設置へ

 これまで幾度かこのコーナーを利用してお知らせして来た「リニア中央新幹線」問題であるが、いよいよ建設ルートが今年中にも(この11月中にも)“南アルプスルート”と正式に決定しそうである。
 10月末に開かれた国土交通省交通政策審議会・中央新幹線小委員会で(10回目の会合という)ルート問題についてこれまでの議論の整理が行われ、この間に公表されて来た「技術的にも問題なく、また建設費用が最も経済的と試算され、且つ運行後の費用対効果が最大と試算される」C案ルート(南アルプスをトンネルで抜け、山梨から飯田・下伊那、名古屋とほぼ直線で結ぶルート)が、概ね認められる方向であるとされた。これで、年内と想定されるルート問題の結論となることは必至で、次はいよいよ「飯田駅」設置が、このふるさと飯田・下伊那地方の焦眉のテーマとなる。
 この春には、飯田市に、リニア新幹線建設促進・飯田駅実現に向けた推進本部と駅建設費を想定した基金が設けられ、また、引き続いて飯田商工会議所など経済界を中心に設立された「リニア中央新幹線飯田駅設置推進協議会」による目標20億円とする“リニア募金”の活動も動き出したところで、リニア中央新幹線飯田駅の実現に大きな運動が力強く推進されていくことになろう。同時に、「新幹線駅は現在のJR飯田駅に併設が望ましい」等の議論も益々活発になり、「新幹線駅は飯田駅より少し北になりそうだ」「いや、天竜峡辺りでは・・・」等のまことしやかな話題もここ1年ほどの間に整理されていくことであろう。
 一方、自然破壊や環境問題などの研究や議論も勿論であり、更には、ストロー現象で益々都心に吸い寄せられてしまい「ふるさとが壊滅するのではないか」とか、「産業や企業はどうなるのだろうか」「教育は?・・・」等々の議論も活発になっていくものと考えられる。
 2027年は未だ17年先と遥か将来のようにも考えられるが、越し方のこの20年、30年があっという間であったことを思うと、眼下(又は眼上か?)を目にも留まらぬ速さでリニアモーターカーが行き交う未来はすぐ先と認識して、このふるさとの行く末を知恵を出し合って考えていかなければならない時と思う。
 画像は、やはりこの10月末、JR東海から発表されたリニアモーターカーの新型試験車両L0(エルゼロ)系である。開業の暁にはこの車両がそのまま営業運行に使用されることが想定されているとのことである。

 

(槙原 英勝)

  

りんご並木が二つの市を結ぶ
 3年前に北海道旅行、道央のツアーに参加した。 あちこち見て廻ったが、北海道は広く、移動に時間が掛かる。少し年配のガイドさんだったが、話は、眠気が来ない様に 楽しく上手かった。
 そんな中、札幌市を走っていた時、「ここから“りんご並木”です。日本に2箇所りんご並木がありますが、ここと何処でしょう・・・、長野県の飯田市です」と、北海道まで来て、飯田の名前が出たのにびっくりした。思わず「私、飯田の者です」と手を挙げてしまいました。仲間内で、この話をするのですが、皆知りません。私もこの新聞を見るまで、こんなに ほのぼのとした事があるとは、知りませんでした.飯田の方が少し早いだけですが、札幌も50年の歴史を持つ1kmに渡るりんご並木、新聞の写真を見れば、はるばる自分の孫に会いに来た様な表敬訪問である。
 少し違うのは、飯田のりんご並木は、焼け野原となった飯田市復興に「希望」を、防火帯道路に、東中の当時の松島校長が札幌市の様に、涼しげな街路樹はどうかと呼びかけた所、生徒がりんごを植えようと、地域の理解協力を得、長年生徒が面倒を見ている、この間には、「日本の道百選」、内閣総理大臣賞等沢山の賞を頂いている。北海道は、広い道路に美化の為に街路樹として植えたものを地域の人たちが面倒を見ていることだ。
 25年前札幌市「並木を守る美園りんご会」発足10周年に「飯田市」の文字が入った石碑が建立され、除幕式に東中生徒が招待されたと記載がある、今度北海道にいく事があったら是非見たいものである。飯田市の知久町と並木通り角には、札幌の文字が入った昭和46年建立の石碑がある。美園りんご会も高齢化して、近くの中学生にバトンタッチしたいとの事であるが、どちらにしても、末永い交流を願う。
 インターネットでも、「りんご並木」検索だけで飯田・札幌が出るのはうれしい、是非開けてみてください。
 (南信州に載った記事と互いの名が入った札幌・飯田の石碑)

(斎藤 純)