サル・クマ・シカ・イノシシ・アライグマ・コウモリ
 長野原の男性は電車通勤しているのですが、通勤途中(長野原)でサルに出くわして5分くらい固まっていたそうです。
 よく大鹿に仕事に行ってた時には、時々サルを見かけることがあって、うれしかったけど、車に乗っていたからそう思えたんだろうと言っていました。
 市役所から、駆除(射殺)の許可が下りたとの事です。

 ツキノワグマは上久堅に住んでいるんですが、地区で2メートルの壁を作ったので、里に下りられなくなって、そのせいで泰阜村や喬木村に出没しています。
 鮭を食べるのはヒグマ(@北海道)。ツキノワグマは植物食の強い雑食で、動物食はアリとかハチとかなので、人間を襲うのも「食するため」が第一理由ではないようですね。
 本州と北海道の間、津軽海峡には動植物の分布境界線の一つであるブラキストン線(津軽海峡線)があります。(中学生諸君、ここ試験に出るよ)。
 クマはこの線でくっきりと分離されていて、ツキノワグマはこの線より南側ヒグマはこの線より北側にしか棲んでいません。)

 シカが増えているので、クマの餌(木の芽)が無くなって大変らしい。

 以下は、山本地区在住の知り合いの方の談です。
 「我が家の周りは、猿は見ないけれど、イノシシはいます。散歩をしていると、道路脇が掘り返されているし、下の畑は、家内が見に行ったら地面が掘られていたという。
 畑の周りに石垣が積んであるんだけれど、イノシシ垣だそうで『むかしは高かったんだけれど、くずれて低くなった。』様でトタン板の垣根ができている。
 畑が山に戻っているから、よけいに里まで出るのかな。」

 飯田市の北城節雄さんは、昨年11月にアライグマの生息が同市内で初めて確認されたことを報告し、生態系や農作物への影響についての懸念を示しました。

  1日に大瀬木で3ヶ月に一度の棚卸しをしていたら、屋根材(商品)を覆ってある ビニールの上にコウモリが一羽いました。。

  さて、今月のオススメは、「知的な痴的な教養講座」(開高 健 著 新潮文庫)。
 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の“mixi”で知り合った大阪の「マイミク」さんから紹介された本です。
 1992年5月25日に文庫本の初版が出ました。私が入手したのは2006年6月6日に発行された第22刷です。下ネタが豊富ですが、結構笑えます。
 (写真は11月30日に撮影した自宅の駐車場と12月6日に撮影した南アルプスの冠雪。)

 

(高橋 秀治)


  

飯田城の茶室の礎石発見 江戸時代を偲ぶ
 今年10月に、信濃毎日新聞で信州ワイド欄に取り上げられた。
 県の樹勢回復事業に合わせて、市の教育委員会が敷地調査の結果解った。この合庁敷地は、飯田城の「本丸」「二の丸」「桜丸」etc.この桜丸に位置し、本丸御殿の別棟として桜丸御殿が建立された、脇坂藩主当時、園庭に多くの桜が植裁され、この桜の下に茶室があったと見られる、この桜から、御殿名が呼称されている。
 この礎石は、飯田城建造物で赤門に続き第二の発見である。
 飯田地区には沢山の桜の名所がある、飯田市内はお寺などの境内に有るのが特徴でそれ故、一本の古木が多い、城趾にある「夫婦桜」は桜丸御門(赤門)の近くにあり樹齢四百年の老木、崖頭にある。当時の下級武士は通れない赤門を通ってこの茶室で茶をたてた絢爛豪華な時代をロマン溢れる華麗な絵巻のように、頭をよぎる。
 根元10m樹高10m根元が空洞化して、今回の樹勢回復に至ったものの、この「夫婦桜」エドヒガンとシダレザクラが合体して一本の様になり、今にまだ、お互いの華麗な花をつける。来年の花見には、ぜひ見学して下さい。その下に、茶室でも出来れば、飯田の観光名所になるだろう。その時を期待しつつ…。

    (写真は信濃毎日新聞記事と、現在の整地された根元、葉が落ちて冬を迎える夫婦桜)

(斎藤 純)

  

  

  

大鹿村の夕立神パノラマ公園
 南アルプスは、天竜川沿いの村や町からは、はるか遠く伊那山脈の向こうにある(写真上左は、飯田市山本から望む塩見岳から荒川岳)。
 大鹿村に南アルプス、中央アルプスなど一望できるスポットがあると聞いていたので、少し近くで初冬の雪化粧をした赤石岳などを眺めようと出かけた。村役場近くの食堂で“そば”を食べながら聞いた話では、そのスポットは“夕立神パノラマ公園”と呼ばれている標高1,620メートルにある公園で、村役場からは、十数キロで、三伏峠などへの登山道の途中にある。
 そこからは、確かに、南アルプスの三伏峠から赤石岳までが眼前に望め、また、振り返ると中央アルプスも眺めることができた(写真上右)。塩見岳は観られないが、三伏峠から烏帽子岳(写真中左)、小河内岳(写真中右)、また、赤石岳(写真下左)など目前に眺めることができる。聖岳は(写真下右の右端の)大沢岳の左陰に少しだけしか見ることは出来ないが、素晴らしい眺めであった。

(原 健彦)