三六災 災禍50年各地で語り継ぐ会
東日本大震災・福島原発被害は日本全国・世界に衝撃を与えた。既に4ヶ月を迎える。政府の対応が遅くなかなか進まない復旧、1ヶ月足らずで何千億円の義援金 1億人の気持ちと、海外からの募金、一刻も早く被災者へ。
今回の災害に比べれば、規模は小さいとは言え、下伊那各地で、大きな被害を受けている。この信濃毎日新聞切抜きの中の、長野県南部を襲った災害も50年を迎え、死者行方不明が多かった大鹿村では「殉難之碑」に献花と犠牲者のご冥福を祈った。大鹿村大河原 大西山の崩落に遭遇した、今井さんの言葉が、日本人の強さを感じさせる。大西山崩落で、自分の家や知人友人を目の前で失い、泥だらけで高台に逃れ、身も心も全て失った時、鍋釜を皆に分けてもらった事、「お世話になった方々を忘れてはならない」と。本当に感謝の気持ちと、みなの協力で、立ち直っていける力はすごい。
私は飯田市でしたが当時高校1年生、着る物も無い時代に、救援物資が有り難かった事、重機はブルだけ、スコップで、応援してくれる、自衛隊、今で言うボランティア隊、これぞ日本人の心根だ。
今回の大震災、まだ余震が続く中、長野県内では栄村に続き6月30日長野県中部を、震度5強の地震が襲った、幸い死者は無かったものの、負傷者や、建物の崩壊が遭った。飯田市も戦後から、昭和22年大火、36災害と大きな災害を受けてきたが、だんだんと時代が変わり、風化されることがさびしい、「災害は、忘れた頃にやって来る」よく言ったものだ。今回の度重なる災害を教訓に、天災を防ぐ事は出来ないものの、心構えと、被害軽減に努力しなければならない。
(信濃毎日新聞切抜きと、三六災飯田市営球場横と、自分の田んぼにたたずむ夫婦、服装は戦後のまま・丸山公民館展示品)
飯田市の36災害写真集 ↓
http://www.cbr.mlit.go.jp/tendamu/date/pdf/denshi/36-all.pdf#search=’36
(斎藤 純)
三遠南信道と自然破壊
伊那谷では、リニア中央新幹線の長野県内のルートとして、南アルプスをトンネルで通過する案が決定したため、この話が第一の話題となっている。三遠南信自動車道の方は、この分野での話題としては二番手となった感じであるが、工事の方は着々と進められている(写真上は国土交通省・中部地方整備局・飯田国道事務所のHPから)。既に開通している中央道山本ICから天竜峡ICに続き、国道256に繋がる飯田東ICまでの間(飯喬道路第2工区)も徐々にその姿を現してきた。谷を橋でつなぎ(写真中左)、山を穿ち(写真中右、写真下左)天竜川左岸の丘陵を北上しているのが見えるようになった。後期高齢者になろうとしている私も、リニアは無理であるが、この三遠南信自動車道を遠山郷位までは、走れそうな気がしてきている。
リニア中央新幹線の話題では、時に、中央構造線を横切る危険性、また、自然環境破壊の問題が語られている。中央構造線については、どこを通っても同じで、また、断層がいっぱいの地震国の日本ではどこも危険が伴うという論もあるが、自然環境を破壊するという話は、それが直接に目に見えるため、頷かざるを得ない。
しかし、三遠南信自動車道の方も、徐々に姿を現してくるのを写真で追って来ていると、この自動車道も随分と自然を破壊していると思わざるを得ない。こうした工事では、更に、道路自身のみでなく、工事をするための仮設道路(写真下右)も山を穿ち、谷を跨ぐ形で自然を壊しているのである。大体、高速道路の多くは、随分と緑の山中を走り自然を破壊している。これは、人間の文明の進歩と自然環境破壊は同居せざるを得ないということなのであろうか??
(原 健彦)