11月5日総委員会が開催されました。表題のように硬いイメージを受けますが、同窓会の各委員会相互の親睦の為に作られた会であります。今回の幹事はHP運営委員会が担当しました。
何時ものような会議の後に懇親会でなく、その前に、居ながらにしてよく知らない、「丘の上・母校ゆかりの地を歩く」と題し、母校の史跡と飯田城址を散策、小雨にもかかわらず、会報編集委員長中島正韶さん案内で、委員会のメンバー20人が参加した。
今に残す旧飯田町での移動は道幅が狭く、傘をさしての移動でしたが、母校開校の永昌院⇒自炊団自彊社(島地五六生地)⇒菱田春草生誕地)⇒普門院(飯田城の鬼門除け祈祷所 校歌3番の問題の山口お藤さんも一時祀られた)⇒天満天神社(飯田城御三霊も祀られていた)⇒藩主が馬場に通ったくつわ小路⇒桜丸御門、夫婦桜、脇坂門・水の手御門⇒追手町小学校(飯田中学の校章に「追」を入れたもの)約1時間少し、携帯電話の万歩計では5000歩を越えた、少し汗ばむ体で、懇親会会場へ。 散策組みを含めて27名 会議は各委員長から、現在の活動についての報告があり、宮島副会長の音頭で、乾杯。汗ばんだ体にビールが旨い。散策で感じたことや、高校時代の思い出を、全員発表でした、木下副会長から、喬木村の青竜会の話が出、各地区で歓迎コンパの、辛いカレーや、校歌・応援歌の特訓を受けた話しで、終始和やかな雰囲気でした。
最後に中島正韶さんの3番入りの校歌とラグビー班花園行きにエールを送った。たまたま同じ会場で会合中の飯田高校野球班にもエールも送り、次期幹事の名簿作成委員長増田郁夫さんにバトンタッチと万歳で散会した。
(写真は永昌院入口と説明風景 自彊社碑 追手町小学校校章) (斎藤 純)