35年ぶりに“一方通行が・・・”
 知久町に一方通行が導入されたのは35年前のことと云うから、丁度小生が車の運転を覚えた頃だろうか。
 「うちにだって“一方通行”はあるよ!」と、その昔、向きになって飯田の都会度を強調した記憶が蘇るが、その唯一の(嘗ては)“知久町の一方通行”が、この2月1日に解除された。(但し、3丁目のみで、1・2丁目の一方通行はそのまま)
 人々の流れが郊外へと進み、すっかり丘の上の様相が変わった近年。中心市街地の商店街として一世を風靡した知久町、そして“飯田の町”の今昔物語と云うことが出来そうだ。

(槙原英勝)


 今月は思い付く話が無かったので、市内を流れる松川に多く生息している「鴨」の写真を載せます。
 (2003年1月20日 松川橋付近にて撮影)

(西尾秀文)>

推薦入試行われる
 2003年度の推薦入試が、1月28日(火)に行われました。飯田高校理数科には37人(定員40人)が志願し、面接試験に臨んだようです。結果は2月3日(月)に通知されます。
 話は変わりますが、雪の多い1月でした。暦の関係上、1月6日(月)に仕事を開始したところが多かったと思いますが、朝はスリップする車が引き起こす渋滞が至る所で見られ、初仕事は雪かきから始まりました。
 伊那市では、この冬の除雪作業の予算をすでに使い果たしてしまったようです。
 

(高橋秀治)

減っていく果樹園
 かつて、わが家の周りは果樹園ばかりだった。しかし今、果樹園は年毎に減っている。
 その理由はいろいろあるらしいが、労働力がないのが一番らしい。農家の主人が高齢化し、その後継者がいないのだ。
 今日も、まだ十分働けそうな多くの若木が、切られているのを見た。他人ごとでも切ない。
 しかし、今の今まで大事に育ててきたものを、自分の手でばっさりと切り倒すときの、経営者の心境は如何ばかりかと想像する。
(原 博司)