菁々寮同窓会 原 満征代表幹事(高13・元清内路村長)は、飯田市追手町「舞鶴」にて第4回菁々寮同窓会を開く。懐かしい菁々寮の跡地や、学校を見学してから懇親会に入る。詳細は0265-46-2500原代表幹事まで 10月30日付け南信州新聞に載る
11月3日に開催された写真が届いた。ちょっと見るに、現村長・元村長・病院院長・副院長等の面々。切磋琢磨して勉学に励まれたことでしょう。
懐かしく第4回「菁々寮」の会
飯田中学時代の昭和22年3月の開設から飯田高校となった昭和45年3月の閉寮までの23年間に在寮した164人が共同生活を送った元学校寮「菁々寮」の第4回同窓会(「菁々寮の会」)が11月3日、22人が参加して3年ぶりに開かれ、共に日常生活で青春を過ごした仲間達と旧知を温めた。
当日は校舎から100mの位置にある飯沼の寮跡地に参集し、舎監の先生の住宅だった建物だけが在りし日の名残りを留める以外の変わり果てた姿に驚き、平成12年に建てた「ここに菁々寮在りき」の標柱を感慨深く撫でていた。
この後、舞鶴で懇親会を開き、通学の生徒では作れなかった尊い当時の思い出話に花を咲かせた。その逸話は・・・・・。
・寮の集会は必ず正座だった。
・毎朝ラジオ体操を行った。
・食事は賄いのおばさんがいたが、米は皆で持ち寄り、主食は半々の麦飯で、昼食は朝飯と一緒の丼一杯を2回に分けて食べ、おかずは自分た ちで調達した。土日曜日は自分たちが当番で作って食べた。
・風呂が無かったので市内の銭湯へ下駄履きで通った。夏は学校のプールの行水で済ませた。
・空きっ腹を満たすため、サツマイモ、梨、りんご、柿をよく失敬した。
・御殿山のデートの場を覗いたり邪魔をしたりした。
度胸試しは受ける方も仕掛ける方も怖かった。
・布団蒸しは危ない作法だった。
何時までも別れがたい懇親会であったが、有意義だった今回の菁々寮の会に満足し、次回は、3年後の11月3日の開催を約束して散会した。
近々、HPに「思い出」のアイコンを追加して、高松高校・自炊団・寮生活などの話を募集します。よろしくお願いします。