前 同窓会報編集委員長の平澤 忠明さんが、3/17 にお亡くなりになりました。前立腺がんとの事でした。

平澤さんとは、役員会や東野支部でご一緒でした。私をHP委員にとの提案は、平澤さんと副編集委員長の宇佐美さんでした。


会合の後の慰労会もご一緒でしたが、2~3年程まえから参加を控える様に。理由をお尋ねした際「体調がちょっと・・・」と言われていましたが、そこまで悪くなっていたとは全く気付かず。

 

新聞の訃報欄でお名前を見てもピンと来ず。

エ~~!とビックリしたのは一呼吸おいてからでした。

 

 

 

 

 

副編集委員長 宇佐美 庸子さんより

告別式もなく家族葬とのことで、お通夜の前に市岡さん、佐々木委員長、同期の委員である小林さん、同じく編集委員の北原さんがお顔を見に伺ったとのことです。
ちょうど91号の編集中でしたので、私は「編集を終えて」というところに今回の事を載せました。

東京の大原さんが出しているメールマガジンを紹介します。

 

【大原メルマガ】前会報委員長 平沢忠明さんを悼む  より

本当に驚きました。昨年末に高校ラグビー長野県大会決勝戦で、その結果を携帯に教えてくれましたし、私の【大原メルマガ】が暫くないと「体調が悪いのか」と心配してくれました(実はご本人が大丈夫でなかったのです)また飯田生まれの薄井龍之に関して 執筆したいと言われていましたので、平澤さんの訃報はまさに青天の霹靂で残念至極です。

平澤さんは早大政経学部を卒業後、毎日新聞の事件記者を務めたそうです。毎日新聞を退職後、南信州新聞記者を務め、風越山を中心とする郷土史研究に打ち込みました。その平沢さんが著した「風越山物語」は、南信州新聞に平成18年から十有余年かけて連載されたもので、風越山の開山 1300年の記念の年2018年に上梓しました。丹念な取材をもとに渾身の力で書かれた名著で、制作した500冊は即完売しました。

平澤さんは同窓会でも活躍し、その筆力を買われて20年に亘り会報委員会(うち10年は委員長)を務められ、5月と11月に発行する会報の委員長だけが記述する「青嵐」には鋭い指摘や提案がなされていました。

天文台設置に貢献した宮澤芳重さんについても執筆しています。平澤さんの「青嵐」での執筆がきっかけとなり、地域貢献する団体に贈られる第1回高松賞を「宮澤芳重の会」(松下拡会長)が受賞しました。平澤さんの芳重さんを顕彰する情熱は極めて強いものがあります。

芳重さんより送られた6インチ天体望遠鏡は、廃校となっている松川東小学校玄関に移設されています。しかし、将来的には望遠鏡を飯田高校に里帰りさせようと「宮澤芳重の会」は松川町に働きかけをしています。
芳重さんの志を刻んだ天体望遠鏡が返還された暁には、「高校玄関のピアノの横に望遠鏡を設置し、天文班の生徒に交代で清掃してもらい」、全ての同窓生が芳重さんへの感謝の念を感じてもらうことが大切だと、平澤さんはいつも力説していました。

平澤さんの母校愛はとても強いものがあり、会報の発展と芳重さんの顕彰運動について、その遺志を受け継いでいくことが大切と考えます。
謹んで平澤さんのご冥福を心からお祈りいたします(合掌)。  大原 直(高21回)
(一部を抜粋)

 

会報編集委員長 佐々木 公美子さん 会報編集委員の皆さまへ  より

10年にわたり会報編集委員長を務められた平澤 忠明さんが、3月17日にお亡くなりになられました。先日まで、編集会議には変わりなく出席されていましたので、驚かれた委員の方も多いと思います。3月に入る頃から委員会を欠席する旨の短いメールをいただくようになり、体調がお悪いのでは・・・と心配をしていた矢先の突然の訃報でした。

3月19日、通夜の前にお時間をいただいて市岡事務局長、北原 和子さん、小林 敏雄さん、私 佐々木でお別れをしてまいりました。長く役員をご一緒された大田中前同窓会長や高17回のご友人も多く足を運ばれておりました。

眠っているような、ホッとしたようにも見えるお顔でした。「平澤さん、ありがとうございました。平澤さんがいなかったら編集委員にもならなかったし、委員長になる決意などできませんでした。でも、もうちょっとで校了なので91号を読んでほしかったなぁ」と声をかけましたら、「大丈夫大丈夫、よろしく頼むね」といつもの声でお応えになられたように感じ、涙が止まりませんでした。

そして、平澤さんが撮影された林 湜和さんの「猫の洞窟」が1面の会報88号、委員長として最後の「青嵐」を綴られた会報89号を柩に入れてくださるよう、甥の喪主様にお渡ししてまいりました。

平澤 忠明さん。委員時代含め20年という長きにわたって同窓会報の編集に情熱を注いでいただき、ありがとうございました。どうぞ安らかに。そして会報編集委員会をお見守りくださいますように。
(一部を抜粋)

 

平澤さん、長年ご苦労様でした。お世話になりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(HP 高田  高18回)