第5回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告

5月26日(日)「第5回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、33名の参加のもとで開催されました。当日は好天に恵まれ、朝10時にJR原宿駅横参宮橋に集合し、明治神宮内を皮切りに、次のコースをたどって、JR中野駅で打ち上げ後解散しました。
案内人:中47回 牧内雪彦さん (講談脚本家)
世話人:高19回 下島 明さん (青林社)
① JR原宿駅表参道口 50m先「神宮橋」  朝10時集合 出発

② 明治神宮境内を参宮橋方向へ 神宮の杜と都会の風景を楽しむ

③ 代々木三丁目 菱田春草居宅跡、春草終焉の地と平田神社を訪ねて
・菱田春草の居宅跡が小田急線沿いにあり、近くに終焉の地がある。
・平田神社は国学・平田篤胤を祀った神社で昭和34年に小石川から代々木に移った。

④ 甲州街道、飯田藩の参勤交代路を横切り新宿副都心から青梅街道へ

⑤ 昼食 中野坂上周辺レストラン 12時半頃

⑥ 現代の街道、山手通り(環6)を歩いて東中野まで

⑦ 寺町、早稲田通り上高田1丁目周辺 飯田ゆかりの方々の菩提寺、墓地へ
河竹黙阿弥:歌舞伎狂言作家。河竹繁俊の養父。歌舞伎の名文句「知らざあ言って聞かせやしょう」のセリフが墓石に刻まれている。源通寺
河竹繁俊:黙阿弥研究者。早大演劇博物館館長。飯田市山本生まれ。旧姓吉村。黙阿弥に気に入られて養子となり、歌舞伎の研究を広める。源通寺
脇坂安(やす)菫(ただ):播磨龍野藩主。賤ヶ岳七本槍脇坂安治子孫。脇坂家11代当主。外様大名 であったが、将軍家斉に認められて寺社奉行になって辣腕をふるった。青原寺
菱田春草:春草の墓は飯田の柏心寺にあるが、中野が本物(?)と言われている。菩提寺は大信寺(四谷)であるが、墓は上高田にある。

⑧ JR中野駅 北口サンモール「魚民中野北口店」で打ち上げ ・参加者全員によるスピーチと下島さんの歴史クイズで盛り上がりました。(文責:大原直氏((高21回))
詳細は、こちら → 第5回_歩こう会・詳細
写真は、こちら → 第5回_歩こう会・写真

(追伸) 歩こう会会長の脚本家牧内雪彦さん(中47回)が1/5の南信州新聞に寄稿(南信州新聞_20130105)し、第4回歩こう会で尋ねた早大演劇博物館について書かれました。河竹黙阿弥を研究し養子となった演博館長河竹繁俊の生き様が紹介されています。その河竹親子の墓を今回の歩こう会で訪ねました。