第3回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告

5月12日(土)に「第3回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、32名(新参加13名)の参加のもと開催されました。当日は絶好の見学日和に恵まれました。朝10時に品川駅に集合し、「歩こう会」会長の牧内雪彦さん(中47回)、世話役の下島明さん(高19回)の案内で、まず赤穂浪士四十七士が眠る泉岳寺を訪ねました。集団の先頭には飯田高校ラグビー班の花園応援で使った小旗を使いました。

墓地前の石段には、高森町牛牧義士踊り保存会の玉垣があり、飯田と義士の関係などについて牧内会長の名調子の解説がありました。そのあと、脇坂家の家臣大塩治右衛門の次男で赤穂へ養子に出た飯田藩ゆかりの赤埴(あかはに)源蔵(俗称:赤垣源蔵)や、吉良邸の図面を入手するために大工の娘を騙した美男子の岡野金右衛門など47義士のお墓にお線香を手向けました。そして別の場所に移動し、赤穂浪士17名が切腹した細川家下屋敷跡を見学しました。

次に伊皿子坂を経由して、古川橋の飯田藩下屋敷跡を訪ねました、現在は勿論屋敷はありませんが、屋敷跡の角に立ち往年の屋敷の膨大な広さを窺うことができました。そして、仙台坂から有栖川宮記念公園で休憩し、広尾の商店街で分かれて昼食を摂りました。

昼食後、広尾散歩道の終着点にある堀家菩提寺である祥雲寺敷地内にある臨済宗・妙高山東江寺を訪ねました。ここには、堀家のお墓のほか飯田藩主が東江寺に寄贈した鐘楼があります。参加者にとって極めてラッキーなことは、寺からジャージー姿で外出しようとした東江寺住職に、飯田の関係者が墓参に来たことを告げると、住職はすぐさま我々を歓迎し、ジャージー姿のままで墓地と本堂をご案内戴きました。そのお蔭で、私達は堀家の大きな板状の墓誌3基と石塔のほか、博多出身の黒田長政公の屋根つきの巨大な石塔をお参りすることができ、厳粛な気持ちで歴史を学ぶことができました。

この住職のお名前が、偶然にも「飯田義道」さんとのことでびっくりですが、飯田へ何度も足を運ばれたようで、堀家のことは無論、飯田市内の地理や歴史にも詳しく、気さくな口調に親近感を持ちました。そして特別の計らいで本堂に入れて戴き、飯田の御三霊様に倣った堀家の大きな黒漆塗りの位牌をお参りしました。2年前に飯田で開催された堀公展には、貴重な遺品を数々提供し協力したそうです。飯田住職による案内はまったく予想外のサプライズでしたが大いに得した気になりました。飯田住職のご厚意に対し、お布施をお渡ししたことはいうまでもありません。

東江寺を後にして、サッポロビールにお勤めの北澤幸夫さん(高24回)の案内で、恵比須ガーデンプレースに移動し、「ライオン」で懇親会を催しました。初参加13名を含む参加者32名のほぼ全員で、楽しく打ち上げを行いました。

第3回歩こう会を成功に導いてくれたのは、いつもながら牧内会長と下島さんです。下島さんは、多くの貴重な資料を作ってくれただけでなく、下見をして無理のないそして有意義な見学コース設定をしてくれました。そして、懇親会の席では恒例となった歴史クイズを出し、会を大いに盛り上げてくれました。博覧強記の牧内さんとサービス精神旺盛な下島さんは「歩こう会」成功の立役者であり、皆さんとともに感謝したいと思います。

第3回歩こう会は参加者全員のご協力で無事に楽しく終了しました。この秋にも第4回歩こう会を開催する予定ですのでご案内したいと思います。   (文責:大原直(高21))

 タイムスケジュール等は、こちらから→ 開催案内 牧内雪彦(中47)さんによる南信州新聞記事は、こちらから→ 『東京の飯田』をウォーキング

 以下、写真撮影は、榊原雅直さん(高31)です。 (写真の上でクリックして拡大写真をご覧ください。)