F組松茸会を開催R6.10.22 世話人市瀬武彦

今年は暑い日が続き、開催が出来るか心配であったが、適度な雨と冷えとで、下伊那郡 例年になく豊作であった。ホテルのロビーに集まった12人、それぞれ出会いの喜びの会話の中で、参加予定の友の訃報を聞き、開催前に黙祷しようと、バスに乗り込む。

喬木村富田のブドウ畑の隠れ小屋(定員20人位)、同年代の夫婦が出迎えてくれる。中は大きな無垢材のテーブルに、いっぱいの料理である、松茸すき焼きメインで、水炊き・味噌漬け・蒸し焼き・土瓶蒸し・とろろ松茸・味噌汁松茸・松茸ご飯など、一品の量も多く、満腹、帰りには、来年の予約をして、10年以上続いた。しかしこの夫婦体調不良で、来年の開催があやぶまれる、もう1つの目的は。軽トラ一杯の市販よりかなりお得なお土産に松茸を買う事、この会の虜になっている仲間はこの場所と材料を用意してくれるとの提案に、大賛成、来年はどうなるのか。

マイクロバスでホテルに向かう、車中の会話は、学生時代の思い出話、楽しい一時であった。

東京一六会、暑気払いを開催

新年会、「桜を観る会」に続き、今年3度目の宴席を9月7日(土)午後5時から恒例となった新宿・三平食堂で開催しました。

猛暑の続く今年の夏、参加者は若干少なく14名となりましたが、参加を予定しながら、直前になって体調不良で欠席をせざる得ない仲間もおり、後期高齢者の我々、今年の猛暑にはなかなか体力の限界を感じざるを得ないようです。

冒頭、中島幹事長から動脈留で緊急手術をした市瀬くんが順調に回復をしているとの報告があり、久しぶりに参加された中田女史の乾杯の音頭で始まりました。

最近、空き家となっている実家へ行ったIくん。彼はたびたび実家保全のため、たびたび帰郷しているが、なかなか処分が出来なくてと苦慮・・・。
 ちょくちょくゴルフをしている仲間の4,5人は、仲間が体調不良で欠け、今年は3回しか出来なかったと嘆き・・・。

などなど、体調の不良、薬の話などを含め、あっちこっちで話が弾んでいました。

規定の時間を延長し、午後8時過ぎに散会となりました。

さて、次回は忘年会、今度は昼の時間帯にしようと12月12日(木)12時30分~(会場は同じ)となりました。

会場は、新宿駅近くであったため、会場のビルを出た瞬間から人の波に揉まれ、駅に近づくにつれ、駅に向かって帰る波、これから遊ぼうと駅から出てくる波とがぶつかり合い、我々高齢者は波に紛れバラバラに。

皆さん、無事に自宅へ着いたでしょうか。

一六会傘寿京都大会中止お知らせ

残念ですが、コロナ騒ぎで幾つかの全体イベントを据え置きにしてきましたが、表題の件、中止と決定しました。お互い歳と共に体力が衰え、遠出の旅が出来ないとの意見が多いのと 先頭で引っ張って来た市瀬会長が突然の病で、4月緊急入院をしたのが、主だった理由です。お陰様で2ヶ月後退院し、休んでいた病院も診療開始が出来る様になりました。大変喜ばしい事です。

今後全体でのイベントは困難であろうとの意見から、来年の、飯田で行う、傘寿大会を盛大に行い、後は各クラスや、東京・飯田で行っている懇親会を充実させて、一六会相互の交友を深めたいと思います。   80歳傘寿大会の 詳しくは、来年ご通知しますので、身体に気を付けられ、お会いできることを楽しみにしております。

一六会”80歳の修学旅行京都旅のお知らせ”

皆様お元気でいらっしゃいましたか
早いもので25周年記念式典から35年が過ぎました、近頃では身体のあちこちが痛かったり医者の薬が離せなくなってきました。コロナで喜寿大会・卒業60周年式典・京都行など据え置きになりました、来年80歳を迎えるにあたって、もう全体イベントは、無理であろうとの意見があり、ここで最後の力を振り絞り80歳(傘寿)大会を飯田で行う事としました、そのオプションイベントとして前の年令和6年に京都智積院の我々の記念樹を見ながら、京都散策をしようと企画しました、何かとお忙しいと思いますが、身体をいたわり、最後の2年に合わせて、語り合いをしましょう。今後は、各クラスや地区ごとに行っている、一六会懇親会の充実を図って、旧友を深めましょう。 あなたに会いたい。

日時 令和6年10月15(火)~16日(水)
   集合 15時散策 夕食18時 
場所 京都 智積院
宿泊 智積院宿坊 2人部屋~4人部屋 
翌朝 6時金堂にて祈禱 京都見学 3時解散
費用 1泊宴会付き 25000円
 飯田発のバス利用の方は別途 1万円位,人数による利用者に後日連絡

4月16日 焼肉徳山にて、飯田一六会幹事が集まり決定しました、皆様には5月に通知いたします。

東京一六会「桜を観る会」残念な中止ながら打ち上げの宴は開催

去る3月26日、新宿御苑を舞台に「桜を観る会」を実施することになっていましたが、激しい雨のため中止となりました。最も東京はまだ開花宣言が出ておらず、ソメイヨシノはまだまだ蕾のママで、とても桜、桜とはならないことで、前日にTEL連絡で参加者予定者に中止の連絡をしました。  一方、打ち上げ会も設定しており、1月の新年会の会場であった新宿・三平に18時に集合。  地元飯田から、一六会会長・市瀬武彦、事務局・斎藤純の両君を迎え総勢18名が参集しました。

中島東京一六会幹事長の乾杯の音頭で開会が宣言され、宴が始まりました。久しぶりに会う仲間とLINEの交換をしたり、近況を述べ合う姿が見られました。

席上、一六会本部の斎藤純君から、これまでの一六会の活動報告が、配布資料に従って報告されました。25周年から始まった活動は、55周年(73歳)までに11回の式典・イベントを行い、60周年は東京での開催が予定されていましたが、ここ4年はコロナ禍で中止となりました。そして今年、10月15日~16日の予定で京都への「80歳の修学旅行」が、また来年には地元飯田での80歳記念式典を企画されたことが報告されました。

配布資料の裏面には一六会メンバーの物故者名簿が掲載されており、2023年11月1日現在65名の方が逝去されており、同期の約2割の方々がすでに亡くなっている現実に皆びっくりしていました。

80歳を無事迎えるのなかなか困難と言われています。その年齢にまもなく迫る我々も体調に気を付け、何とか80を乗り越えたいものです。 文,興津利夫

東京一六会、新年会を開催

 東京一六会では去る1月27日(土)新宿の居酒屋「三平」にて、コロナ禍後4年ぶりの昨年9月の残暑払いに続いて新年会を開催しました  元旦の「能登・北陸地震」、2日の「羽田空港JAL衝突事故」と大変な年明けとなりました。そんな年明けでしたが、我ら後期高齢者は、遠く静岡から参加のS君をはじめ、久しぶりの参加の仲間を含め21名という近年にない参加者となりました。一方、常に参加していた仲間の不参加には、その健康を気遣う声も聞かれました。

   中島会長による「元気な皆さんの顔を拝見できてうれしい。今年も元気に過ごしましょう」との開会の辞に続き、乾杯となり、宴は始まりました。    宴も半ばになると、それぞれ席を移動し、久しぶりに会う仲間の脇に座り、懐かしい思い出の話で旧交を温めている姿が見られました。  酔いが回ると、春には「桜を見る会」を実施しようという声が、誰ともなく提案され、3月26日(火)と日程も決められ、「新宿御苑」で満開の桜を鑑賞し、打ち上げを、今回と同じ新宿「三 平」で行うことが決まりました。  予定の時間を過ぎ、20時半、会場の隅に集まり集合写真を記念に撮影し、散会となりました。

ただ、帰路で気になったのは、土曜日の新宿歌舞伎町近くの会場だったため、、まるで洪水のような人の波、そんな中を泳ぐように駅に向かう我ら高齢者、各自バラバラとなって帰路につきました。  皆さん何事もなく無事に自宅に着いたか気になるところです。

飯田一六会新年会

 一六会(市瀬武彦会長)は1月16日飯田市内の「はこだて」にて新年会を開いた。 「焼肉徳山」にて毎月懇親会を開き、正月には昼神温泉で新年会を開いてきたが、コロナで休み5年ぶりの日帰り新年会である。海鮮料理中心に、なかなかの料理と何時までも60年前の口調でしゃべり合う仲間、良いものだ。

今回は5年前から、喜寿大会や、60周年記念大会、京都大会など据え置きになって来たイベントと傘寿大会の話題になった。 来年、傘寿大会を飯田で、その前に計画してきた京都大会を10月15・16日に行う事とした、伊佐住職の手配で、智積院宿坊を格安で確保でき、記念樹と京都散策を「熟年最後の修学旅行」と銘打ち、最後になるだろう旅行に胸を膨らせた。

来年は満80歳、気は若くても、身体がついていかない方など増えてきたと聞きますが、開催日2ヶ月前位には皆様に通知申し上げます。全体イベント最後と考えご参加をお願いいたします。

4年ぶりに東京一六会残暑払いを開催

コロナ禍が続いたこの4年間、東京一六会の残暑払い、新年会は開催できずにいましたが、やっと異常な猛暑が去り、初秋の気配がそこはかとなくただよい始めた、去る9月30日、久しぶりに残暑払いを開催しました。会場は、東京駅近くの居酒屋で、18名(男性14名、女性4名)の学友の参加がありました。初めての会場にもかかわらず定刻にはほとんどの出席者が集まっていました。 中島幹事長による乾杯の音頭で開宴、4年ぶりとあって、この間に後期高齢者となった我々、今日の日まで元気に過ごしてこれたことに感謝の乾杯。それでも持病・飲み薬の数を自慢する声が、あっちこっちでささやきあっていたのは否めません。宴たけなわとなり、次回の新年会も元気に集まろうとの発言があり、年明けの1月27日(土)が決定されました。その後2時間の会場の制限時間となり、中締めで一旦閉会後、約半数の仲間は延長料金を払い、2次会となり話題はなかなか尽きません。  8時過ぎには解散となり、大きく変わりつつある再開発真っ盛りの東京駅八重洲口へ向かって千鳥足でそれぞれ帰路につきました。

明けましておめでとうございます。一六会会長 市瀬武彦

母校グランドから風越山を望む(左には桜の木がありました)

昨年は、飯田ラグビー班花園1勝の快挙で終わりました。コロナ禍で、全てが狂ってしまった中で、最高の朗報でした。今年も皆様 ご健康でお過ごしされんことをお祈り申し上げます。 今年は,喜寿祝賀会を計画しています。元気にお会い出来る日を心待ちしています。

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一六会は、全体イベントを卒業25周年以来15回を重ねてきましたが、今年77歳、喜寿を迎えます。思い起こせば、昭和の最後に、旧校舎の講堂で、25周年式典を行い、平成最後に55周年記念式典を同じ三宜亭で行いました。東京一六会主催の地元新聞にも載る、千葉三日月「新宿発55歳の修学旅行」、東京鷗外荘、浜松の海辺のホテルや、京都智積院では、還暦記念で前厄本厄後厄、楠記念植樹を含め6回も訪問など、あっという間でしたね、当初77歳イベントを東京でとなってましたが、コロナ感染の中、東京一六会との話し合いで、地元飯田で行う事となりました。まだまだコロナ終息の気配無く「80歳に京都で盛大に」との意見もあり、詳細は決まり次第ご通知いたします。 現在58名の方が亡くなり、不明者を入れると2クラス減になりました。ご冥福をお祈りいたすとともに、皆さんには元気でお会い出来る事を楽しみにしております。

一六会オルゴールが取り持つ思い出と出会い

11月発行の同窓会会報の原稿です、こんなことがありました。

同窓会事務局から帽子型オルゴールの寄付が届いたとの連絡があった。図らずしも第85号会報の「校歌の思い出」欄にオゴール作成秘話を投稿したばかりだった、一六会作製などで持ち主は16回生である。調べると13年前に亡くなられた熊谷亘弘君の妹 M,Iさん(27回生)からの寄付であった。遺品の中から出てきたので、寄付したとの事であった。 彼は医者の息子で、弓道班に所属、3年の時、文化祭の最後のファイヤストーム点火を火矢で行った、矢の先端に当然油を付けたと思うのだが、TVの様に上手くいかなかったが「肩を組み泥の祭典」の火ぶたを切った、60年前の思い出。

もう1つは、お祖母様(明治15年生)が飯田高等女学校当時に作成されたと言われる38ページの歌集(音楽ノート)、手書きの五線に音符が書かれ、その下に歌詞が書かれていた、その中に、「南信男子」アカイシヤマハギギトシテ・・飯田高校校歌だ、医者のお父さんの時代に、校友会などで皆が集まりこの曲を歌い継がれたのだろう、他にも興味深い時代の歌が書かれている。私は西中学校の出身ですが昭和31年から、今の校歌が愛校歌として歌われ、その後51年に西中校歌と制定されたのを思い出された。

この歌集の最後には、音符の種類や句点記号などの説明まであり、お祖母様の音楽才能が窺われる。歌はその時代を映像化させる。同窓会では末永く大切に保管される事であろう。