東京一六会、新年会を開催

 東京一六会では去る1月27日(土)新宿の居酒屋「三平」にて、コロナ禍後4年ぶりの昨年9月の残暑払いに続いて新年会を開催しました  元旦の「能登・北陸地震」、2日の「羽田空港JAL衝突事故」と大変な年明けとなりました。そんな年明けでしたが、我ら後期高齢者は、遠く静岡から参加のS君をはじめ、久しぶりの参加の仲間を含め21名という近年にない参加者となりました。一方、常に参加していた仲間の不参加には、その健康を気遣う声も聞かれました。

   中島会長による「元気な皆さんの顔を拝見できてうれしい。今年も元気に過ごしましょう」との開会の辞に続き、乾杯となり、宴は始まりました。    宴も半ばになると、それぞれ席を移動し、久しぶりに会う仲間の脇に座り、懐かしい思い出の話で旧交を温めている姿が見られました。  酔いが回ると、春には「桜を見る会」を実施しようという声が、誰ともなく提案され、3月26日(火)と日程も決められ、「新宿御苑」で満開の桜を鑑賞し、打ち上げを、今回と同じ新宿「三 平」で行うことが決まりました。  予定の時間を過ぎ、20時半、会場の隅に集まり集合写真を記念に撮影し、散会となりました。

ただ、帰路で気になったのは、土曜日の新宿歌舞伎町近くの会場だったため、、まるで洪水のような人の波、そんな中を泳ぐように駅に向かう我ら高齢者、各自バラバラとなって帰路につきました。  皆さん何事もなく無事に自宅に着いたか気になるところです。

飯田一六会新年会

 一六会(市瀬武彦会長)は1月16日飯田市内の「はこだて」にて新年会を開いた。 「焼肉徳山」にて毎月懇親会を開き、正月には昼神温泉で新年会を開いてきたが、コロナで休み5年ぶりの日帰り新年会である。海鮮料理中心に、なかなかの料理と何時までも60年前の口調でしゃべり合う仲間、良いものだ。

今回は5年前から、喜寿大会や、60周年記念大会、京都大会など据え置きになって来たイベントと傘寿大会の話題になった。 来年、傘寿大会を飯田で、その前に計画してきた京都大会を10月15・16日に行う事とした、伊佐住職の手配で、智積院宿坊を格安で確保でき、記念樹と京都散策を「熟年最後の修学旅行」と銘打ち、最後になるだろう旅行に胸を膨らせた。

来年は満80歳、気は若くても、身体がついていかない方など増えてきたと聞きますが、開催日2ヶ月前位には皆様に通知申し上げます。全体イベント最後と考えご参加をお願いいたします。

4年ぶりに東京一六会残暑払いを開催

コロナ禍が続いたこの4年間、東京一六会の残暑払い、新年会は開催できずにいましたが、やっと異常な猛暑が去り、初秋の気配がそこはかとなくただよい始めた、去る9月30日、久しぶりに残暑払いを開催しました。会場は、東京駅近くの居酒屋で、18名(男性14名、女性4名)の学友の参加がありました。初めての会場にもかかわらず定刻にはほとんどの出席者が集まっていました。 中島幹事長による乾杯の音頭で開宴、4年ぶりとあって、この間に後期高齢者となった我々、今日の日まで元気に過ごしてこれたことに感謝の乾杯。それでも持病・飲み薬の数を自慢する声が、あっちこっちでささやきあっていたのは否めません。宴たけなわとなり、次回の新年会も元気に集まろうとの発言があり、年明けの1月27日(土)が決定されました。その後2時間の会場の制限時間となり、中締めで一旦閉会後、約半数の仲間は延長料金を払い、2次会となり話題はなかなか尽きません。  8時過ぎには解散となり、大きく変わりつつある再開発真っ盛りの東京駅八重洲口へ向かって千鳥足でそれぞれ帰路につきました。

明けましておめでとうございます。一六会会長 市瀬武彦

母校グランドから風越山を望む(左には桜の木がありました)

昨年は、飯田ラグビー班花園1勝の快挙で終わりました。コロナ禍で、全てが狂ってしまった中で、最高の朗報でした。今年も皆様 ご健康でお過ごしされんことをお祈り申し上げます。 今年は,喜寿祝賀会を計画しています。元気にお会い出来る日を心待ちしています。

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一六会は、全体イベントを卒業25周年以来15回を重ねてきましたが、今年77歳、喜寿を迎えます。思い起こせば、昭和の最後に、旧校舎の講堂で、25周年式典を行い、平成最後に55周年記念式典を同じ三宜亭で行いました。東京一六会主催の地元新聞にも載る、千葉三日月「新宿発55歳の修学旅行」、東京鷗外荘、浜松の海辺のホテルや、京都智積院では、還暦記念で前厄本厄後厄、楠記念植樹を含め6回も訪問など、あっという間でしたね、当初77歳イベントを東京でとなってましたが、コロナ感染の中、東京一六会との話し合いで、地元飯田で行う事となりました。まだまだコロナ終息の気配無く「80歳に京都で盛大に」との意見もあり、詳細は決まり次第ご通知いたします。 現在58名の方が亡くなり、不明者を入れると2クラス減になりました。ご冥福をお祈りいたすとともに、皆さんには元気でお会い出来る事を楽しみにしております。

一六会オルゴールが取り持つ思い出と出会い

11月発行の同窓会会報の原稿です、こんなことがありました。

同窓会事務局から帽子型オルゴールの寄付が届いたとの連絡があった。図らずしも第85号会報の「校歌の思い出」欄にオゴール作成秘話を投稿したばかりだった、一六会作製などで持ち主は16回生である。調べると13年前に亡くなられた熊谷亘弘君の妹 M,Iさん(27回生)からの寄付であった。遺品の中から出てきたので、寄付したとの事であった。 彼は医者の息子で、弓道班に所属、3年の時、文化祭の最後のファイヤストーム点火を火矢で行った、矢の先端に当然油を付けたと思うのだが、TVの様に上手くいかなかったが「肩を組み泥の祭典」の火ぶたを切った、60年前の思い出。

もう1つは、お祖母様(明治15年生)が飯田高等女学校当時に作成されたと言われる38ページの歌集(音楽ノート)、手描きの五線に音符が書かれ、その下に歌詞が書かれていた、その中に、「南信男子」アカイシヤマハギギトシテ・・飯田高校校歌だ、医者のお父さんの時代に、校友会などで皆が集まりこの曲を歌い継がれたのだろう、他にも興味深い時代の歌が書かれている。私は西中学校の出身ですが昭和31年から、今の校歌が愛校歌として歌われ、その後51年に西中校歌と制定されたのを思い出された。

この歌集の最後には、音符の種類や句点記号などの説明まであり、お祖母様の音楽才能が窺われる。歌はその時代を映像化させる。同窓会では末永く大切に保管される事であろう。

飯田高校一六会物故者と朗報 市瀬武彦

早いもので立春を迎えました、お元気ですか。
飯田地方は大丈夫だと思っていたコロナ感染が県内でレベル5のトップクラスになり、今はレベル3に戻っていますが身近で感染者が増えると、身がしまる思いです。
昨年より計画されていたイベントも全て延期か中止になりました

飯田一六会では毎月の楽しみの、「焼肉徳山」の親睦会も感染状態を見て休みを取りながら今日まで来ました。
東京一六会でも新宿や池袋で恒例の新年会や暑気払いも、中止になり、我々後期高齢者にとって三密を避け自粛生活を送るのみであります。

昨年、他界された仲間
D組中島国春君12/7 H組松葉泰彦君4/29・小沢洋夫君5/18 ご冥福をお祈ります
これで物故者55名、不明者を入れると2クラス分になります。
皆様には、どうかご自愛なさって、お暮しください。

朗報です

D組の伊佐栄豊和尚が昨年叙勲され、今回、真言宗の布教功労賞を受賞しました。
それに伴い真言宗智山派智積院より弘教という地位を授かりました。
弘教とは智積院管主(能化様)と共に布教に努め、又その代行をするという高い地位だと聞いています、
将来智積院管主となる可能性もあると我々は期待したい。

京都智積院は、古希大会以来何度も全体イベントを行ってきましたが、我々の記念樹「楠」の幹が20㎝以上に成長して剪定が終わり、立派になったとの情報が入っています。   写真が無いのが残念ですが、手に入り次第UPします。
全体イベントの計画では、77歳(喜寿)は東京 80歳は京都でしたね、この時世では解りませんが、
健康に気を付けてこの危機を乗り越え、また元気でお会いしましょう。

東京一六会恒例の新年会開催

東京一六会は毎年「新年会」、「暑気払い」を恒例行事として開催しているが、今年も去る2月1日(土)、新宿東口の居酒屋「安具楽」で新年会を開催しました。

これまで、会場を東京八重洲口、神楽坂、池袋と変え、今回は初めての新宿。

今年、後期高齢者となる我々、指定の17時に参加者17名が集合できるかとの不安もありましたが、ほぼ全員が定刻前に来場。雑踏の街・新宿で道に迷い徘徊老人となる人はいなかったようです。

会は幹事長中島君の乾杯の音頭で始まり、当初は皆さん隣り同士で旧交を温めていましたが、そのうち次第に声が大きくなりはじめたので、余り酔いが回らないうちにと幹事長が耳打ちされ、地元一六会から「一六会75歳大会」を東京一六会に主催要請されていることの報告があり、それにつき多くの意見が出されました。

すでにパンフレットを用意してオプション企画として「隅田川での屋形船」を提案する人、「東京湾クルージング」、「はとバスでの都内観光」、「再度、上野の鴎外荘での宿泊・上野観光」、さらには「石和温泉」などさまざまな提案がなされました。酔った勢いでの提案でもあるので、次回の「暑気払い」で実行委員会を立ち上げ、そこで案を煮詰めようということで落ち着きました。

さて、会場は2時間という時間制限があるので、19時過ぎには解散となりましたが、まだ足りないという7人の仲間は、カラオケボックスへ。そこで歌われたのは「昭和歌謡」のオンパレード。年相応の選曲でした。

21時過ぎまでカラオケを楽しみ、別れを惜しむようにそれぞれ家路に向かいました。(文責:興津)

令和2年一六会新年会 昼神温泉「天心」1/16

飯田一六会(代表市瀬武彦)は、恒例の新年会を昼神温泉「天心」にて開催した。19人が参加して、今回も昨年の受勲者川手氏に続いて、伊佐栄豊和尚の叙勲のお祝いも兼ねての新年会である、

開会に先立ち物故者慰霊を行った、昨年は、5人が亡くなわれた。親しく共に活動をして来ただけに、皆で手を合わせての慰霊であった。不明者を入れ、すでに2クラス分がなくなった。

舞台には、たくさんの景品と、天皇から授与された、勲章入りの瑞宝双光章額が飾られ、受勲者の紹介と、本人からの報告があった。

和尚の立場もあるが、永い事受刑者と向き合う、教誨師をやってきた、毎月2・3回350㎞を走り府中に通った、子供達の校正を祈りここまで来たが、まだ動けるだけ通いたいと。皆から慕われたエピソードの話、皇居で天皇陛下にお会いした時の緊張などの話もあった。恐れ多くて食べれない菊の紋入り菓子が我々皆に配られた。

市瀬武彦代表から祝辞と乾杯で祝宴に移る、杯が進むにつれ、あちこちで、昔話に花が咲く、皆からの近況報告では、それぞれ高齢者なりの悩みや病気などの話が出てビックリすると共に、後期高齢者を感じた。

次の全体イベントは東京であるが、京都智積院の一六会記念樹「楠」が大きくなったとの情報に、来年は京都だ、などの声も上がった。

たくさん積まれた景品争奪ビンゴゲームでは、さすがに童心に帰り、大騒ぎ、最後に、今年のラッキーボーイ決めジャンケンでは、ピークに達し、小池君が仕留めた。2次会にカラオケに行き、良き一夜を仲間と過ごす事が出来た。

東京一六会、恒例の残暑払いを開催

東京一六会では、8月31日(土)、残暑払いを開催しました。
今回は、これまでの会場が閉店のため、新規に池袋西口居酒屋「かぶと」で開催。
近年大きく変わった池袋駅周辺だけに集合時間に皆が集まれるか不安視されましたが、人混みを分け、参加者20名が時間通りに揃い、まずは一安心。
これまでと変わって我ら高齢者、膝、腰の不調を訴える人も多くなり椅子席での開催となりました。
中島幹事長の音頭で乾杯で幕を開け、次々に並べられる海鮮料理に舌鼓をうつほどに、酔いがまわりはじめ、しだいに皆声高になってきました。お店は土曜日とあって時間が早かったためもあり他の客は少なく、迷惑をかけることは無かったようです。
定年後会社を興し、まだ現役で海外を飛び回っているI君、「いつまでやるの?」の問いかけに、「後継者がまだいないので、まだ引退は考えられない」と明るく元気に答え、同じく定年後、鍼灸師の免許をとり開業しているH君、そのほかにも定年後も嘱託としてサラリーマンを続けている人も数人あり、まさに「人生、100年時代」を象徴するような元気な皆さんでした。
地元飯田の一六会事務局:齋藤純君から送られてきた「一六会物故者」リストを回覧すると、すでに48名と1割以上の物故者があることに一瞬驚きの声が上がりました。
残された我々はまだまだと人生を謳歌していますが、先立った仲間に思いを馳せながら、元気に100歳を目指したいものですね。
リニアで一度は飯田へ帰郷してみたいという人もあり、ますます元気な一六会でした。

今回はスマホの画像です

飯田高校一六会卒業55周年記念式典

一六会(市瀬武彦代表)は平成31年3月20・21日に77名の会員参加で飯田市にて卒業55周年記念式典を開催した。
三宜亭にて式典を行うのは、30年前の25周年記念式典以来である。オプションでは、74Kmを歩いた強歩のコースや、ゴルフ、ボウリング、前夜祭では、180人が参加して交友を深めた、人生絶頂期41歳 若かった。
30年の歴史の中で、昭和最後の年に25周年、平成最後の年55周年、全体イベントは15回を数える、その他には東京一六会は、花見、納涼、忘年会等、飯田一六会では、毎月の懇親会と、昼神にて新年会、新野の行人様には尺玉奉納、各クラスでは、一泊の小旅行や、松茸会など、一六会にどっぷり浸かった数知れずの行事、中でも「55歳の修学旅行」や、京都智積院の還暦、古希、飯田高校の土と水で楠の植樹は忘れられない、我々の誇りでもある。この間、47名の仲間を失い、不明者を含めると、2クラスが減った。今回はオプションも足腰に負担が無い様に、天竜峡から唐笠港まで舟で、帰りは車窓からの絶景と秘境の駅を見るコースと飯田高校見学と母校にまつわる名所散策、満蒙開拓記念館の3コースを企画したが、どれも盛況であった、式典では、伊佐和尚の読経の中、献花で物故者慰霊をした。市瀬会長からは、「歳は足からくる、こけない様に」との話に、皆納得したようだ。懇親会では、クラス代表で遠距離から参加者や、元パイロットや大学学長からのメッセージもあり、皆さんの頑張りと年輪を感じさせた。皆で歌う校歌や応援歌まだ忘れていない。77歳には東京で喜寿を祝おうと決め、80歳には京都の還暦記念木「楠」を見に、リニアで東京や、米寿まで夢を膨らませ、「また会う日まで元気でと」声掛けながら散会した、それぞれのクラスでは場所を変え校友を深め、楽しい2日間を過ごした。