一六会オルゴールが取り持つ思い出と出会い

11月発行の同窓会会報の原稿です、こんなことがありました。

同窓会事務局から帽子型オルゴールの寄付が届いたとの連絡があった。図らずしも第85号会報の「校歌の思い出」欄にオゴール作成秘話を投稿したばかりだった、一六会作製などで持ち主は16回生である。調べると13年前に亡くなられた熊谷亘弘君の妹 M,Iさん(27回生)からの寄付であった。遺品の中から出てきたので、寄付したとの事であった。 彼は医者の息子で、弓道班に所属、3年の時、文化祭の最後のファイヤストーム点火を火矢で行った、矢の先端に当然油を付けたと思うのだが、TVの様に上手くいかなかったが「肩を組み泥の祭典」の火ぶたを切った、60年前の思い出。

もう1つは、お祖母様(明治15年生)が飯田高等女学校当時に作成されたと言われる38ページの歌集(音楽ノート)、手描きの五線に音符が書かれ、その下に歌詞が書かれていた、その中に、「南信男子」アカイシヤマハギギトシテ・・飯田高校校歌だ、医者のお父さんの時代に、校友会などで皆が集まりこの曲を歌い継がれたのだろう、他にも興味深い時代の歌が書かれている。私は西中学校の出身ですが昭和31年から、今の校歌が愛校歌として歌われ、その後51年に西中校歌と制定されたのを思い出された。

この歌集の最後には、音符の種類や句点記号などの説明まであり、お祖母様の音楽才能が窺われる。歌はその時代を映像化させる。同窓会では末永く大切に保管される事であろう。

飯田高校一六会物故者と朗報 市瀬武彦

早いもので立春を迎えました、お元気ですか。
飯田地方は大丈夫だと思っていたコロナ感染が県内でレベル5のトップクラスになり、今はレベル3に戻っていますが身近で感染者が増えると、身がしまる思いです。
昨年より計画されていたイベントも全て延期か中止になりました

飯田一六会では毎月の楽しみの、「焼肉徳山」の親睦会も感染状態を見て休みを取りながら今日まで来ました。
東京一六会でも新宿や池袋で恒例の新年会や暑気払いも、中止になり、我々後期高齢者にとって三密を避け自粛生活を送るのみであります。

昨年、他界された仲間
D組中島国春君12/7 H組松葉泰彦君4/29・小沢洋夫君5/18 ご冥福をお祈ります
これで物故者55名、不明者を入れると2クラス分になります。
皆様には、どうかご自愛なさって、お暮しください。

朗報です

D組の伊佐栄豊和尚が昨年叙勲され、今回、真言宗の布教功労賞を受賞しました。
それに伴い真言宗智山派智積院より弘教という地位を授かりました。
弘教とは智積院管主(能化様)と共に布教に努め、又その代行をするという高い地位だと聞いています、
将来智積院管主となる可能性もあると我々は期待したい。

京都智積院は、古希大会以来何度も全体イベントを行ってきましたが、我々の記念樹「楠」の幹が20㎝以上に成長して剪定が終わり、立派になったとの情報が入っています。   写真が無いのが残念ですが、手に入り次第UPします。
全体イベントの計画では、77歳(喜寿)は東京 80歳は京都でしたね、この時世では解りませんが、
健康に気を付けてこの危機を乗り越え、また元気でお会いしましょう。