昭和100年80歳と記念すべき年も後1ヶ月足らずになりました。 80歳傘寿記念大会から2ヶ月が経とうとしています。沢山の方が参加して頂き本当に有り難うございました。
悲しお知らせですが、私の所へ何回も「16日の大会には何としても参加する」と電話を頂いき、車いすで参加されたB組栗生典子さんが10月26日に亡くなりました、あれだけ皆に会いたいと言われた栗生さん、家族皆から良かったねと、送られました。もう一人山口県在住G組の松沢憲治君、病院のベットから16日は参加出来ると言いましたが、参加できず、17日には、「誰と誰は来たか?会いたかった」と長い電話を最後に、11月11日亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
傘寿記念大会の集大成の報告会で自己申告でしたが、控えめな方がいて、落してしまいました、G組の澤口寿男元浜松東・富士警察署長、瑞宝双光章授賞、 H組の溝口勝彦元上田郵便局長、瑞宝章双光章授章 まだ見落としがあると思いますが一六会の仲間は素晴らしい方が勢ぞろいですね、戦後バブルの時代を築き頑張って働いて働いて来た賜物ですね。良き時代を過ごしましたよ・・・
記念大会で乾杯の音頭は、奥村方敏元生徒会長でしたが、皆さんの熱気を読み取ったのか大分省略された様で、挨拶文が届きました、紹介します。
あ い さ つ
生徒会長をさせて頂いた奥村です。 初めに40年の長きにわたり、この一六会の役員をされてきた皆さんにお礼を言いたいと思います、「今日この場を設けて頂いた、今は亡き市瀬会長そして斎藤幹事さん大変ご苦労様です。又東京にあって会長をつとめた中島さん幹事をつとめた興津さん有り難うございました」
さて80歳傘寿 傘の年を共々迎え、開いていたその傘も今日を限りに閉じようとしています。あいさつは短いほうがよろしいと言われております。しかしせっかくの又とない機会でありますので、お時間を若干拝借させて頂きます。もちろん、居眠り、うたた寝、けっこうです。
振り返りますと、われわれは、長かった戦争が終わりつつある、終わった世に生をうけました、飯田市を焼き尽くした大火、伊那谷の夜明けといわれた中央自動車道開通、天の底が抜けたかと思うほどの集中豪雨、飯田高校の名物である夜を徹しての強歩、天文台を後に卒業をし、高度成長まっただ中、それぞれの道をヒタヒタと走り、歩んできました。ともかくも、平和で恵まれた世代です。ともかくも、今また中央リニア新幹線をはるかに望む位置に立っています。出席の皆さんの何人が、リニアの新しい飯田の駅を乗り降りするのでしょうか?できればそうありたい。人生100年の時代と言われております、しかし「長生きするのは結構だけど、もういいかげんにしてほしい」とかげ口を言われるのも考えものあります、願わくは、「おじゃま虫にならぬように」との決意表明をこの場を借りて、しようではありませんか!「そう言う奥村の今の心境はどうか?」と問われれば、こう答えたい。「あの平家物語 壇の浦の舟の上で、もののふが「ハヤ、見るべきものは見たり いざ」の心境であります、しかし深い海に身を投げる気にはなりません。おかげさまで、居ごこちが良いのであります。共々、感謝しつつ、日々を迎え送ろうではありませんか。
ああそれにしても、この伊那の谷の山川 草 木 が、何と美しく、老いた目、まなこに映ることでありましょう。ご静聴ありがとう御座いました。 合掌

















































