第6回「飯田ゆかり地を歩こう会」報告

台風による雨天順延で1週間後の10月27日(日)に、「第 6回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、28名の参加のもとで開催されました。

当日は絶好の天気に恵まれ、朝10時にJR千駄ヶ谷駅に集合し、国立競技場横を通り過ぎ、次のコースをたどって、全員が完歩いたしました。途中は、「歩こう会」会長の牧内さんの名解説に聞き入りながら、楽しく歩くことができました。
最後は恵比寿ガーデンプレイスで打ち上げを行い、交流を深めた後解散しました

案内人   中47回 牧内雪彦さん (講談脚本家)
世話人   高19回 下島 明さん  (青林社)

<コース: 千駄ヶ谷~青山~六本木~広尾~恵比寿>
   JR千駄ヶ谷駅改札を出たところ 朝10時集合 出発

神宮外苑 絵画館銀杏並木から青山霊園へ
東京の中心にある文化とスポーツの聖地を散策する

青山霊園 飯田出身または関連の先人たちの墓前へ
安東貞美(さだよし)  墓   (陸軍大将、1853~1932)
田中義廉(よしかど)  墓   (洋学者、1841~1879、博物学者田中芳男の弟)
潮田(うしおだ)千勢子(ちせこ) 墓
(婦人運動家、1845~1903、足尾鉱毒被災者救援)
島村洋二郎 墓   (画家・仁王家墓、1916~1953)
日下部(くさかべ)鳴鶴(めいかく) 碑
(大久保利通墓の碑文、書家1838~1922)
※大久保利通の石碑隣に歌人斉藤茂吉の墓がある

国立新美術館

(昼食)六本木ヒルズ

麻布から有栖川宮記念公園

広尾 祥雲寺 堀家代々 墓  (飯田藩主)
石澤謹吾 墓  (宮城集治監初代典獄=宮城刑務所所長)

(午後4時)恵比寿ガーデンプレイス サッポロビヤガーデンで打上げ
歴史クイズ、全員スピーチで盛り上がる。

(午後6時)現地解散

写真は、後日掲載します。
来年春の第7回歩こう会をお楽しみに!    (文責:大原直事務局長)

第5回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告

5月26日(日)「第5回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、33名の参加のもとで開催されました。当日は好天に恵まれ、朝10時にJR原宿駅横参宮橋に集合し、明治神宮内を皮切りに、次のコースをたどって、JR中野駅で打ち上げ後解散しました。
案内人:中47回 牧内雪彦さん (講談脚本家)
世話人:高19回 下島 明さん (青林社)
① JR原宿駅表参道口 50m先「神宮橋」  朝10時集合 出発

② 明治神宮境内を参宮橋方向へ 神宮の杜と都会の風景を楽しむ

③ 代々木三丁目 菱田春草居宅跡、春草終焉の地と平田神社を訪ねて
・菱田春草の居宅跡が小田急線沿いにあり、近くに終焉の地がある。
・平田神社は国学・平田篤胤を祀った神社で昭和34年に小石川から代々木に移った。

④ 甲州街道、飯田藩の参勤交代路を横切り新宿副都心から青梅街道へ

⑤ 昼食 中野坂上周辺レストラン 12時半頃

⑥ 現代の街道、山手通り(環6)を歩いて東中野まで

⑦ 寺町、早稲田通り上高田1丁目周辺 飯田ゆかりの方々の菩提寺、墓地へ
河竹黙阿弥:歌舞伎狂言作家。河竹繁俊の養父。歌舞伎の名文句「知らざあ言って聞かせやしょう」のセリフが墓石に刻まれている。源通寺
河竹繁俊:黙阿弥研究者。早大演劇博物館館長。飯田市山本生まれ。旧姓吉村。黙阿弥に気に入られて養子となり、歌舞伎の研究を広める。源通寺
脇坂安(やす)菫(ただ):播磨龍野藩主。賤ヶ岳七本槍脇坂安治子孫。脇坂家11代当主。外様大名 であったが、将軍家斉に認められて寺社奉行になって辣腕をふるった。青原寺
菱田春草:春草の墓は飯田の柏心寺にあるが、中野が本物(?)と言われている。菩提寺は大信寺(四谷)であるが、墓は上高田にある。

⑧ JR中野駅 北口サンモール「魚民中野北口店」で打ち上げ ・参加者全員によるスピーチと下島さんの歴史クイズで盛り上がりました。(文責:大原直氏((高21回))
詳細は、こちら → 第5回_歩こう会・詳細
写真は、こちら → 第5回_歩こう会・写真

(追伸) 歩こう会会長の脚本家牧内雪彦さん(中47回)が1/5の南信州新聞に寄稿(南信州新聞_20130105)し、第4回歩こう会で尋ねた早大演劇博物館について書かれました。河竹黙阿弥を研究し養子となった演博館長河竹繁俊の生き様が紹介されています。その河竹親子の墓を今回の歩こう会で訪ねました。

第4回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告

10月27日(土)に「第4回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、37名の参加のもと開催されました。当日は絶好の日和に恵まれました。
朝10時に目白駅に集合し、学習院大学を皮切りに、田中角栄邸、野間記念館、永青文庫、早稲田大学、穴八幡神社を見学し、高田馬場駅近くのビアホールで懇親会を開きました。
各場所の案内は、「歩こう会」会長の牧内雪彦さん(中47回)、早稲田大学名誉評議員の矢澤酉ニさん(中47回)および世話役の下島明さん(高19回)にして戴きました。

一行は目白駅隣にある学習院大学構内を通り抜け、目白通りに沿って歩きました。まず、田中角栄邸横の公園で、田中角栄が買った屋敷が須坂藩堀家跡であった経緯等が牧内さんから説明されました。

次に、講談社野間記念館で「横山大観と再興院展の仲間達」を観賞しました。横山大観は芸大の岡倉天心に菱田春草とともに師事し、日本画壇の巨星と謳われました。しかし、残念ながら菱田春草の絵はありませんでした。

つぎに、近くの細川家屋敷跡の一隅にある永青文庫を訪ねました。永青文庫では先週まで菱田春草展が開催されており、「歩こう会」としては非常に残念でした。 永青文庫から胸突坂を下り、早稲田大学構内へ移動し、大隈ガーデンハウスカフェテリアで昼食を摂りました。

昼食後は、学徒動員で戦死した3800名の慰霊碑について矢澤さんからの説明を受けた後、演劇博物館(通称:えんぱく)を訪ねました。 「えんぱく」は、英文学者の坪内逍遥が19年掛けてシェイクスピアを翻訳完成したことを記念して昭和3年に設立されたもので、日本で唯一演劇を専門的に扱う博物館として知られています。館内には、シェイクスピアに関する蔵書など古今東西の多数の演劇資料が集められており、また能・狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃など日本の伝統文化の殆どすべてが集められています。 「えんぱく」を支えた飯田高校同窓生は数多く、(以下敬称略)逍遥に師事した河竹繁俊(旧姓市村)、日夏耿之介、林京平の大先輩もおられます。 河竹繁俊(旧姓市村、中6回、山本出身)は逍遥の紹介で、歌舞伎作者の河竹黙阿弥の養子となり、黙阿弥全集をまとめています。「えんぱく」の館長、早大名誉教授を務めました。

日夏耿之介は飯田市名誉市民第1号ですが、明治23年に飯田に生まれました。大正3年に早稲田大学英文科を卒業しましたが、病を得て5年間床に伏した後、大正8年、母校早大に英文学者として職を奉じています。 林京平さん(中41回)は昨年亡くなられましたが、坪内逍遥の研究の第一人者として長く逍遥協会の理事長を務められました。
林京平さんは一昨年の「稲穂」第7号に「逍遥と黙阿弥と河竹繁俊」を執筆されています。 なお、矢澤さんによれば、現在、飯田高校出身の早大教授の数は5名だそうです。

早大を出た後、一陽来復の御守で有名な穴八幡神社をお参りし、その後高田馬場に移動し、参加者37名中35名がビアホールで楽しく打ち上げを行いました。参加者全員の自己紹介を行った後、恒例となった下島さん作成の歴史クイズが出され、会は大いに盛り上がりました。
こうして、「第4回歩こう会」は成功裡に終了しました。

来年の春に第5回歩こう会を開催する予定ですのでご案内したいと思います。 榊原さん(高31回)が撮影してくれた写真を添付します。 (文責:大原直(高21回)) コースの詳細

(写真の上でクリックして拡大写真をご覧ください。)

第3回「飯田ゆかりの地を歩こう会」報告

5月12日(土)に「第3回飯田ゆかりの地を歩こう会」が、32名(新参加13名)の参加のもと開催されました。当日は絶好の見学日和に恵まれました。朝10時に品川駅に集合し、「歩こう会」会長の牧内雪彦さん(中47回)、世話役の下島明さん(高19回)の案内で、まず赤穂浪士四十七士が眠る泉岳寺を訪ねました。集団の先頭には飯田高校ラグビー班の花園応援で使った小旗を使いました。

墓地前の石段には、高森町牛牧義士踊り保存会の玉垣があり、飯田と義士の関係などについて牧内会長の名調子の解説がありました。そのあと、脇坂家の家臣大塩治右衛門の次男で赤穂へ養子に出た飯田藩ゆかりの赤埴(あかはに)源蔵(俗称:赤垣源蔵)や、吉良邸の図面を入手するために大工の娘を騙した美男子の岡野金右衛門など47義士のお墓にお線香を手向けました。そして別の場所に移動し、赤穂浪士17名が切腹した細川家下屋敷跡を見学しました。

次に伊皿子坂を経由して、古川橋の飯田藩下屋敷跡を訪ねました、現在は勿論屋敷はありませんが、屋敷跡の角に立ち往年の屋敷の膨大な広さを窺うことができました。そして、仙台坂から有栖川宮記念公園で休憩し、広尾の商店街で分かれて昼食を摂りました。

昼食後、広尾散歩道の終着点にある堀家菩提寺である祥雲寺敷地内にある臨済宗・妙高山東江寺を訪ねました。ここには、堀家のお墓のほか飯田藩主が東江寺に寄贈した鐘楼があります。参加者にとって極めてラッキーなことは、寺からジャージー姿で外出しようとした東江寺住職に、飯田の関係者が墓参に来たことを告げると、住職はすぐさま我々を歓迎し、ジャージー姿のままで墓地と本堂をご案内戴きました。そのお蔭で、私達は堀家の大きな板状の墓誌3基と石塔のほか、博多出身の黒田長政公の屋根つきの巨大な石塔をお参りすることができ、厳粛な気持ちで歴史を学ぶことができました。

この住職のお名前が、偶然にも「飯田義道」さんとのことでびっくりですが、飯田へ何度も足を運ばれたようで、堀家のことは無論、飯田市内の地理や歴史にも詳しく、気さくな口調に親近感を持ちました。そして特別の計らいで本堂に入れて戴き、飯田の御三霊様に倣った堀家の大きな黒漆塗りの位牌をお参りしました。2年前に飯田で開催された堀公展には、貴重な遺品を数々提供し協力したそうです。飯田住職による案内はまったく予想外のサプライズでしたが大いに得した気になりました。飯田住職のご厚意に対し、お布施をお渡ししたことはいうまでもありません。

東江寺を後にして、サッポロビールにお勤めの北澤幸夫さん(高24回)の案内で、恵比須ガーデンプレースに移動し、「ライオン」で懇親会を催しました。初参加13名を含む参加者32名のほぼ全員で、楽しく打ち上げを行いました。

第3回歩こう会を成功に導いてくれたのは、いつもながら牧内会長と下島さんです。下島さんは、多くの貴重な資料を作ってくれただけでなく、下見をして無理のないそして有意義な見学コース設定をしてくれました。そして、懇親会の席では恒例となった歴史クイズを出し、会を大いに盛り上げてくれました。博覧強記の牧内さんとサービス精神旺盛な下島さんは「歩こう会」成功の立役者であり、皆さんとともに感謝したいと思います。

第3回歩こう会は参加者全員のご協力で無事に楽しく終了しました。この秋にも第4回歩こう会を開催する予定ですのでご案内したいと思います。   (文責:大原直(高21))

 タイムスケジュール等は、こちらから→ 開催案内 牧内雪彦(中47)さんによる南信州新聞記事は、こちらから→ 『東京の飯田』をウォーキング

 以下、写真撮影は、榊原雅直さん(高31)です。 (写真の上でクリックして拡大写真をご覧ください。)