一六会 水窪足神神社例大祭参加 10/5

10月5日台風18号が静岡・関東を通過する中、一六会G組中心に5名が、静岡県浜松市水窪(長野県境)の足神神社の例大祭に向かった。もう5・6回になるだろう。飯田市南信濃(遠山)から途中道がない国道を走る、三遠南信道ができれば、国道返上かと思わせる狭い道、台風の影響で、道には、枯れ枝や、枯葉が散乱している、飯田市と浜松市で国盗り綱引合戦をする兵越峠あたりは、霧で真っ白、山の雲の中に突入だ、静岡県側は道も広い、しかし今年の2月14日に降った50cm以上の雪で、山肌には数えきれない程の倒木があった。日本一小さな神社に着く、土砂降りの中、水窪の天龍新聞の竹田代表が、親しく「飯田高校一六会の皆さん!」と迎えてくださる。流石にこの雨、何時もなら3・400名の参拝客がいるのに、今日は200名足らず、飯田からの献酒が祭壇横に置かれている、例大祭の始まりだ。守屋宮司の祝詞の後、一六会代表では、宮澤孝嘉氏が玉串奉奠を行った。式典後、直会で宮司から、私が宮司になって初めて雨の祭りを経験した、今年2月の雪で、この神社までの道が、倒木で通行止めになった時、今年1年の予測が出来た気がした。人間は自然の前では、小さな存在である、謙虚さを忘れず、生きることの大切さを、との講話があった。帰りには、手打ち蕎麦と遠山の産地売店に寄るのも、楽しみである。

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浜松市天竜区から新聞が届いた、天龍新聞と静岡新聞の切り抜き

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一六会新野行人様と花火大会参加 9/14

昨年は猛暑日が続き暑い夏、残暑厳しき9月 この花火大会の日に台風が飯田地方を横切るとの事で、次の日に延期、この日も雨が続き来週に延期、それでも料理の事もあるだろうと、新野「一力」に集合、花火抜きの大宴会、次の週には、花火を堪能することができた1週間のドラマであった。
今年は7月に猛暑日が2日だけ、8月になっても、梅雨を思わせる気候で、冷夏に終わった。台風12・11号と猛威を振るい、度重なるゲリラ豪雨に各地に大きな災害をもたらした。
この14日飯田地方気温28°雲1つ無い秋晴れ、新野に近づくに従い気温も下がり、花火の時は、肌寒さを感じた。三々五々温泉に入ったり、行人様や近くの集落から集まった芸能大会見学し、「一力」に集まる。先に到達した仲間は、もうビール片手に、宴会が始まっていた、だんだんと輪が大きくなり、知らせの花火の頃に全員が集合した。今年は、市瀬会長夫妻子供、孫・松村家子供夫婦、孫・小林夫妻(阿南支部副支部長)と22名の大宴会であった。何時の様に、庭先にシートがひかれ、部屋の電気が消され、飯田では見られない大きな花火と小さな盆地に共鳴する炸裂音に魅了される。床の間に飾ってあった飾り物が音で倒れるハプニングもあった。8時頃にいよいよ我が一六会の尺玉が奉納される、今年は少し奮発して先割れ追加で(柳垂の先端でもう1度花開く)最高であった。最後に尺玉・二尺玉入り超豪華スターマインが打ち上げられ、これも最高であった。(引用の言葉がわからない)余韻を残しながら、また宴会の続き、部屋を変えて、夜ふけるまで話し合う。朝食は、イクチの味噌汁に、新米のご飯・魚とおかわりが出る。来年の予約を取って、帰路につく。「一力」の栗生夫妻には本当にお世話になりました。
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IMG_0569 IMG_0534 市瀬家

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一六会 スナック マレットゴルフ大会参加 9/7

26年8月
9月7日 某スナック主催の松川清流苑マレットゴルフ大会に、一六会から四名(小島・小池・菅沼・斎藤)が参加した。
このスナックのオーナが、西中学校の同窓生(68才女性)との事で、二回ほど店に行ったことが有り、ぜひこの大会に参加して欲しいとの事。私を除く三人は、よくプレーしていて、大会でも好成績を残している。今年の異常気象で、朝からの雨、午後には晴れ間をのぞかせ、プレーには、最良。コースは、障害物が多くあり難コース(何回かやれば、面白いコースだ・小島談話)であった。メンバー25名で、誰も知らない。このあと懇親会があるがあまり気が乗らないから表彰外になろうと、調整しながらの36ホール、それでも、ホールインワン(小島)を出す、結果は、目標通り表彰外、清流苑の温泉に入り、帰路に着く。プレー中の会話が楽しく良い半日を過ごした。

東京一六会暑気払い開催 8/23

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8月23日(土)、夕方5時より恒例となった神楽坂・きらく市で暑気払いを開催。
15名の学友が参集し、久しぶりに参加した仲間の元気な姿が見えると、互いの健康を確認して喜び合う「おー、おー、元気そうだな」の雄叫びがあがりました。
来年は、我々も古希(70歳)、恒例の暑気払い、新年会がお互いの生存証明の機会になってきた感じがしないでもありません。
それでも、宴たけなわになるとゴルフコンペの誘いに,さっと6、7人の挙手があり、まだまだ元気と老いを忘れる我々でした。
しかし、散会にあたって、「もう座敷での宴会は立ったり、座ったりがきついので、次回からは椅子か、掘り炬燵式の会場にしよう」と、本音がぽろり。
次回も元気にお会いしましょう。

東京一六会、恒例の新年会を開催

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146 DSC_0050 若い女性が居ると、元気になるものですね! 

去る1月25日、東京一六会では、お馴染みの会場、神楽坂:きらく市にて恒例の新年会を開催しました。

今回は、T君の職場で共に働く風越高校の若いOB2名の参加もあり、我々爺さんたちは、久しぶりに若やいだ気分になったようです。

席上、今年の旅行はハワイとの提案があり、詳細は、まだ現役で旅行会社に籍を置く松尾くんの手を煩わすことになりました。今回も全一六会に呼びかけて参加を募ります。

詳細が決まり次第、一六会HP、その他でお知らせします。

ところで、神楽坂の街並みは風情豊かだった往年の様子を知る我々世代には、すっかり馴染みがなくなり、古くからあったお店が小洒落たシングルバーや店舗に変わり、すべてが若者向けの仕様になってしまったようです。若いカップルばかりが歩道狭しと闊歩して歩く姿に、我々にはちょっとした疎外感すら感じるほどの様変わりです。

そんな、神楽坂ですが、ちょっと脇道に入ると、ここ2回ばかり2次会で流れていく、こんなところがあったのかというようなカラオケスナックがあり、表通りの喧騒から逃れるように地元のジジ・ババが懐かしい演歌を楽しんでいます。まるでデイケアセンターのように。

我々もその雰囲気にすっかり馴染む年になってしまいました。そう、来年は古希ですものね。

飯田一六会 26年度新年会 昼神温泉「天心」にて

26年1月新年会 006   013集合写真に間に合わなかったLongさん1人では恥ずかしいと若い子を連れてくる、この子、ジャンケンで総取り

26年1月新年会 0111月17日、もう何年になるだろう、今年も昼神温泉に18名が集まり、ゆったりとした時を過ごした。何時もの様に、温泉を堪能した仲間が一部屋に集まり、宴会前の宴会が始まる。毎月顔を合わしているのに、良く話す事があるものだ。宴会には、何時ものビンゴゲーム,持ち寄った景品と会から用意した豪華景品で、舞台が一杯になる。残った景品をジャンケンで争奪。カラオケルームと、チロリン村に別れ、夜遅くまで楽しむ。   翌朝は、阿智村の全国で初建設、満蒙開拓平和記念館を見学した。このHPでも何回か取り上げているが、民間団体が寄付等を募り、7年をかけ苦労して建てた物、中に入ると、その気持ちと、これからの日本の指標が見えるような気がした。なぜ、70年余の間、このような物が出来なかったのか不思議ある。  日本各地から27万人もの人が、広大な土地に憧れて、満州国に移住をした。中でも山坂の飯田下伊那地域では、郡を抜いて多くの方が移住している。土日などは、語りべが、ボランティアで来ている、セミナールームでは、スクリーンスにプロジェクターで、当時の様子などが映し出され、他の団体と一緒であったがすすり泣きや、大きなため息が聞こえた。我々は終戦生まれの人間であり、少なくとも、経験者から、多くを聞いていたが、これが本当に日本なのかと考えさせられた。広島や全国から、当時の資料が寄せられているようだ。   続いて山本にある そば道場にて、菅沼二三夫講師による蕎麦打ち体験をした、もう何回か経験してきたからか、手際だけは良い、しかし出来上がったそばを試食、味は良いが、中にはきしめん並みのものには、口うるさい評論家(蕎麦打ちをしなかった仲間)には、不評であった。

 

一六会の皆様 明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いします。

昨年は、「天変地異」 異常気象と未だかつて無いなどで 騒がれた年でした、飯田地方も少しの災害と史上初の38℃を記録しましたが、これがだんだんと平常値になるのでしょうか。来年は70歳古希を迎えます。我々の京都記念樹を観ながらの古希大会を計画中です。日にちは決まってませんが、その時は、元気に逢いましょう。

時節柄 体には気をつけられ お元気でお過ごし下さい。