盆月 旧友を偲ぶ 「開放されたラガーマン」

開放されたラガーマン                       堀 無情 

 その目の午後、私は、K病院の3Fエレベーターを降りて「桃井順三君の病はどこでしょうか?」と、尋ねていた。 『え、桃井さんは、亡くなりましたよ、去年だったかしら? 2年位前だったかしら?』、、、、「いつ頃でした?」と、意味のないような質問をしたのが精一杯だった。月に2、3回病院に出かける機会が有ったが、最近見かけないなと、思っていたところだった。彼は時々休憩所のTVで高校野球などを楽しんでいた、そして、『部屋に戻っていないとダメですよ、後で大変なんだから。』と、いわれていたのがギクリと思い出された。耳が遠いのか、殆ど会話をしない彼が、唐突に良く聞き取れないような声で『少し前に弟が死んだ。』と話したのと、「俺が解るか?」と聞くと、ニヤリとした。「又来るよ」と言ったのが最後になった。『飯高ラグビー班花園出場』と書かれた新聞を手にしたまま、私の右足はフラフラと力無く方向を失っていた。長い長い廊下を唯々歩いていつのまにか病院の外に出ていた。十二月の寒風に小雪がぺ口ペロと頬にあた。無性に大き声で「バカヤロー」と、怒鳴りたかった!立ち止まり空を見上げた、その時、一瞬、雲間から明るい光がさした。 そうだ彼は解放されたのだ、二十数年間の闘病生活から救われたのだ!密なる闘争の後にやがて訪れた融和とでもゆうのか。 そうだ!一緒に花園へ行けるんだ!もう車椅子なんか要らないんだ!花園へ行こう!そして、腹一杯応援しよう。 学ランを身にまとい首が太すぎてとめられないのかボタンをはずし、あるときは、グランドをドタドタと走り、時々ニヤリと人なつっこく笑う順三は、もう帰って来ない。 私の、記憶の中で彼は永遠に生きつづける。

お立ち日 平成20年8月12日    享年63歳   合掌

 

一六会旅行記「台湾を一周しました」

台湾を一周しました

 5月28日から「台湾1周20景めぐり5日間」と題したJTB旅物語企画のツアーにF組松尾勝彦くんを団長に、東京一六会のメンバー5名(F組塩沢敏行、中島直樹、G組伊藤昭吉、中塚 博)が参加した。小生としては仕事を含めると10回目の訪問であった。
 5日間の行程は概ね以下の通りで、観光3割、移動7割と台湾を1周することが主な目的の旅であった。
第1日:成田14時30分発、台北着後バスで台中に移動(150Km、約2時間)。
第2日:台中市内観光後日月潭へ(75Km、約1時間)。観光後台南へ(150Km、約2時間半)。観光後高雄へ(50Km、約1時間)。この日のバス乗車時間は観光含め6時間以上。
第3日:高雄市内観光後、台湾の東海岸を太平洋を眺めながら花蓮へ(350Km、約5時間)。この日も6時間以上の移動。山越えがあり最も厳しい移動となった。
第4日:タロコ渓谷観光後、列車にて九份へ(約3時間)。 九份観光後バスで台北へ(約1時間)。この日は約5時間の移動であったが列車が入り楽な1日。
第5日:忠烈祠で衛兵(徴兵制度が有り、ここの兵士はエリート中のエリート)交代の儀式を見学後、故宮博物院へ。その後台北市内観光後、台北発成田へ。出発が遅れたため成田へは21時30分過ぎに到着。荷物の出も遅く、家には24時過ぎに最終電車で到着。
 という事で、びっちり詰まった5日間の旅であったが、総勢21名のツアーの中で我々は若い方であり、初めての人と、夜、部屋で酒を酌み交わすなど、和気藹々の大変楽しい旅であった。
 ご承知の通り、故宮博物院は大部分の物は、蒋介石が毛沢東に追われ、台湾に渡った時に持ち込んだ、中国4000年の歴史的お宝の数々を展示した、世界的にも有数の博物館であるが、近年の中国との旅行自由化により、毎日7,000人の中国人観光客が台湾に来るとのことで、館内は大混雑であった。      
 大声で喚くように喋り、他人を顧みないマナーの悪い中国人が毎日大量に来るとのことで、台湾で最も素晴らしい観光スポットなのだから、もう少しゆっくりと見学することは出来ないのであろうか。誠に残念と言わざるを得ないことになってしまった。
 と言いながらも、台湾は日本にとっては掛け替えのない隣国であり、距離も近く、親日であり、食べ物も口に合い、国内旅行よりも安いくらいで、未だ行ったことの無い人にはお勧めの国である。(中島直樹記)

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一六会卒業50周年記念式典開催される

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飯田高校16回生一六会(代表 市瀬武彦)が4月13・14日、昼神温泉「湯元ホテル阿智川」に於いて、卒業50周年記念式典を行った。式典には、同窓会本会より木下俊佐副会長をお迎えした。開会に先立ち、物故者35名の名を読み上げ、旧友を偲び冥福を祈った。市瀬武彦実行委員長から医者らしい事前指示書(自分の最期は自分で決める)の話も取り入れた挨拶があった。続いて木下副会長が飯田高校校長時代に、PTA会長を務めた浜島光男(喜久水社長)が、「同期に弟がいて、一六会の良き理解者である」と、木下先生の紹介をした。木下先生から暖かい祝辞を頂き、遠方会員の挨拶等、厳粛の内に、式典が終わり、東京一六会中島直樹会長の乾杯発声で、宴会となった。2次会は、ホテル内のクラブに60名が参加して、時の経つのも忘れ歌い、また各クラスで部屋に入り、遅くまで語り明かした。

一六会は、各クラスの集まりはあったが、25周年以来、各周年毎のイベントの外、55歳の修学旅行、京都智積院での還暦記念、記念植樹等をこなして来た。飯田では毎月16日に「親睦会」を20年以上続けている。東京一六会も、隔月で「親睦会」を続けている。各で小旅行や、海外旅行まで行い、毎年どこかで参加でき、年中一六会である。2年前にこの式典計画は有ったが、飯田下伊那地区にある全国的に有名になってきている一本桜めぐりを14日に取り入れようと1ヶ月前に決めた。急な呼び掛けにも関わらず、209名からの返信があり九州、山口 関東関西、地元から70名が式典に参加した。今年の異常気象で3月末には、2週間も早い桜の開花宣言があり、幹事は、式典まではと、祈りつつ、コースを何回も走り、変更を繰り返した。花より団子・お喋りで、楽しいバスツアーが出来た。コースの中に、還暦のとき伊賀良のさくら様に記念植樹した「薄墨桜の実生」の確認と、記念石版の設置ができた。

次回は70歳の古希大会を「我々の京都智積院記念樹を見に行こう」を合言葉に、散会した。

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一六会卒業50周年記念式典 昼神温泉「阿智川」

                   50周年記念式典実行委員長 市瀬武彦

あれから25年が経ち、あの時高校生だった息子も40歳になります。早いものですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。良き仲間と語らい過ごせる事の素晴らしさを感じています。今回も大いに67歳を語り合いましょう。下記の様に50周年記念式典を行いますので、万障差し繰りの上参加してください。  翌日は、日本1・2の全国的に有名な飯田下伊那の数ある1本桜の見学会も企画しました。ふるさとを思い、ふるさとを満喫できる時を過ごしたいと思います。(京都 智積院には、還暦大会記念の「楠」記念樹が大きくなったとの話を聞きます。あと2年後には、70歳記念で、京都ツアーも企画中ですが、飯田のさくら様には、岐阜根尾溪の薄墨桜の子木が還暦記念樹として育っています、この所もコースに入れ、昼には、五平餅を片手に、春祭りの鼎獅子見学も取り入れました。)

  • 日時   平成25年 4月13日(土)現地集合17:00受付(飯田までバスの方など。ホテルのシャトルバスあり)
  •       4月14日(日) 朝解散  桜めぐり (マイクロバスにて移動費用実費)
  • 場所 下伊那郡阿智村 昼神温泉 湯元温泉「阿智川」(5ツ星ホテル)少し早めに来て温泉でも浸かりゆっくりしてください。http://www.hotel-achigawa.jp/ 阿智川公式サイト
  • 会費 20,000円(記念品含む)
  • 詳細 電話申し込みは、事務局 斎藤迄  090-1423-0116

東京一六会、2013年度新年会を開催

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例年開催している忘年会に変えて、新年会を1月26日(土)開催しました。会場はいつもの通り、神楽坂:きらく市。宴席を敬遠するのか、女性陣の参加はゼロ。男性陣ばかり、16名の参加となりました。あまりに殺伐としているのでT君より、風越高校の卒業生が会社に3人程いるので、今後の参加を呼びかけようかとの提案がありましたが、彼女たちは22,23歳とか。あまりの年齢格差から話が合わないだろうと却下されました。一部に残念がる人もいましたが、われわれの仲間にも女性陣はいるではないかとの意見に全員納得。 心臓が弱くその手術のため、ここ2回ばかり不参加だったT君が、晩酌も出来るようになったからと奥さまの車での送り迎えで参加。大分スマートになったものの血色の良い顔で会場に入ってくると、拍手で迎えました。中島幹事長の開会の挨拶に続いて即乾杯、早速宴会に入りました。席上、昨年は旅行代理店勤務の現役、M君の労でベトナム旅行を実施しましたが、今年は台湾行きが提案されました。当日の出席者に参加を募ったら早速5,6名の手が上がりました。実施は5月下旬を予定。地元飯田からの参加も歓迎です。宴会終了後は中島幹事長ほか5,6名が、カラオケスナックへ。現役時代に鍛えたノドを競い、次々にマイクを回し、時間の経つのも忘れ、帰路についたのは22時30分頃だったとか…。地元飯田の仲間に劣らず、まだまだ元気な東京の一六会メンバーです。(事務局:興津利夫)

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飯田一六会 25年新年会 昼神温泉「阿智川」於 

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飯田一六会は、1月12日13日と、昼神温泉「阿智川」にて 恒例の新年会を行なった。例年 日・月曜日で行なっていた新年会であるが、まだ現役の方もいて、土・日の方が参加しやすいとのことで、場所も変え、女性3人を含め18人で行なった。結果的には人数は少なかったが、楽しい一時であった。12日6時集合であるが、既に3時頃より温泉に入ったり、部屋でビールを飲んで、1次会を楽しんでいる、湯元とあって風呂も良い、山肌から落る滝や築庭と一体になる露天風呂も最高、宴会場には、持ち寄った景品、会から用意したもので山積みである。何時もの様に、宴会場に入る順に、挨拶と乾杯が続き、和やかな宴会が始まった。ビンゴゲームで、景品を分け合い、ホテルにあるクラブで2次会、まあよく歌う、最後は肩組み合い「高校3年生」だ。毎月会っている仲間なのに1部屋に入って、女性も一緒に深夜まで、おしゃべり。次の日は、殿岡にある「殿岡の匠」にて、仲間の菅沼二三夫ソバ打ち3段の指導で、蕎麦打ち体験、打ち上がったソバを批評しながら食べる。昨年に続き2回目とあって、うどんかきしめんの太さから、そばらしい太さになり、味も最高であった。   (斎藤)

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明けましておめでとう御座います 一六会長 市瀬武彦

 

 

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いします。

昨年は、同窓会定期総会担当等、いろいろな行事がありました。今年は卒業50周年記念の年です。まだまだだがんばりましょう。

(毎年干支にちなんだ神社仏閣を探し訪ね、写真を撮っていますが、今年は、京都府宇治市にある三室戸寺の宇賀神にしました、蛇は財運・金運の神とされ あちこちで見られますが、頭が人相の狛蛇は珍しい、その意味を今昔物語集などで調べるのも楽しいものです)

水窪 足神神社例大祭参加 10.7

  

   天龍新聞と静岡新聞抜粋

行って来ました。7日飯田はまだ昼間の温度は27度  2台の車で、遠山から152号線を登る、険しい細道で途中が途切れている日本でも珍しい国道だ、それでも静岡側からの車やバイクツーリングに会う、さすがに足神神社につくとジャンバーが欲しいくらいだ、G組からは、飯田のお酒が奉納された。厳粛な例大祭が終わり、直会の席では、Jリーグの市川大祐のお父様が、「本人 試合のため来れなかったが、この足神神社のおかげで、今もプレー出来ている」とお礼の言葉があり、守屋宮司からは、今の中国、韓国の問題に触れられ、神道では「すめらがむつ」と言う、古文で難しいが、仏教では「慈悲」、キリスト教では「愛」に匹敵する言葉がある、もっと世界が、仲良くしなければ、との話があった。 天龍新聞の竹田記者とも 親しく話ができ、「ここでは一六会は、有名だ」との話に少し誇らしさを感じた。日本の中でも、この小さな祠に、奈良・千葉からの参拝客も、飯田高校同窓会の先輩の姿も見られた。この祠の湧き水は、コーヒーを入れても、味噌汁に入れても、確かにうまい、当然足にも効用があるはずである。   帰りは 美味しいソバを食べるチームと、和田城・下栗散策チームに分かれ、飯田に向かった。           (斎藤 純)

新野行人様御開帳と花火大会旅行記抜粋

 

  

9月16日飯田一六会16人は、新野のお祭りに向けて出発した、  2時頃新野の宴会場所「一力」へ到着、既に何人は、到着していて、瑞光院へと向かう、我々にとって高校時代、スケートに来た思い出の巣山湖がある森林公園まで車で、後はシャトルバスだ、仲間が近いから歩こうと歩きだしたので、後に続く、厳粛な本堂へ、行人様に深々と頭を下げた、この行人様、生きながらにして仏になったとの事(即身仏)、日本に16体の内の1体で、1日湯飲みに、そば粉1杯で全国の神社仏閣を訪ね歩いて修行を積み、ここに入定(土の中に入る)した。   外の広場では、色々の催しがあった、最後に、縁起物の、もち投げがあり、我を忘れ拾った。 この御開帳前には、行人様が修行に履いたとされる、鉄下駄競争もあったようだ。          近くの温泉 おきよめの湯に入り、「一力」での宴会で花火大会を待った、何時もの様な賑やかな宴会だ。  いよいよ始まりだ、山に囲まれたこの千石平、打ち上げの音までも、響き渡る。宴会場から丁度正面に見える、お酒を片手に、表のシートが敷かれた場所で、腹まで響く尺玉に歓呼の声を上げ堪能する、いつの間にか1本ごとに、花火評論家が増え、皆を笑わせる。       ここの花火の特徴は、飯田では打つことができない大きなものばかり、尺玉等硝子戸がしびれる、我々の奉納煙火追い打ちでは、一段と大きな声が飛ぶ、最後には2尺玉が出た、花火に酔いながら、また部屋に戻り、宴会の続き、悪い癖?、東京一六会もそうと聞くが、「来年も」とチャッカリ予約を取る。次の朝は、雨が降った、飯田地方では、ここ何週間も雨が降ってない。新米のおいしい朝食を食べ、帰る頃には、雨もやみ、別れを惜しみつつ、飯田に向かった。

「一力」の栗生ご夫妻には、本当にお世話になりました。又お願いします。  (斎藤 純)