東京一六会暑気払い開催 8/23

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8月23日(土)、夕方5時より恒例となった神楽坂・きらく市で暑気払いを開催。
15名の学友が参集し、久しぶりに参加した仲間の元気な姿が見えると、互いの健康を確認して喜び合う「おー、おー、元気そうだな」の雄叫びがあがりました。
来年は、我々も古希(70歳)、恒例の暑気払い、新年会がお互いの生存証明の機会になってきた感じがしないでもありません。
それでも、宴たけなわになるとゴルフコンペの誘いに,さっと6、7人の挙手があり、まだまだ元気と老いを忘れる我々でした。
しかし、散会にあたって、「もう座敷での宴会は立ったり、座ったりがきついので、次回からは椅子か、掘り炬燵式の会場にしよう」と、本音がぽろり。
次回も元気にお会いしましょう。

東京一六会、恒例の新年会を開催

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146 DSC_0050 若い女性が居ると、元気になるものですね! 

去る1月25日、東京一六会では、お馴染みの会場、神楽坂:きらく市にて恒例の新年会を開催しました。

今回は、T君の職場で共に働く風越高校の若いOB2名の参加もあり、我々爺さんたちは、久しぶりに若やいだ気分になったようです。

席上、今年の旅行はハワイとの提案があり、詳細は、まだ現役で旅行会社に籍を置く松尾くんの手を煩わすことになりました。今回も全一六会に呼びかけて参加を募ります。

詳細が決まり次第、一六会HP、その他でお知らせします。

ところで、神楽坂の街並みは風情豊かだった往年の様子を知る我々世代には、すっかり馴染みがなくなり、古くからあったお店が小洒落たシングルバーや店舗に変わり、すべてが若者向けの仕様になってしまったようです。若いカップルばかりが歩道狭しと闊歩して歩く姿に、我々にはちょっとした疎外感すら感じるほどの様変わりです。

そんな、神楽坂ですが、ちょっと脇道に入ると、ここ2回ばかり2次会で流れていく、こんなところがあったのかというようなカラオケスナックがあり、表通りの喧騒から逃れるように地元のジジ・ババが懐かしい演歌を楽しんでいます。まるでデイケアセンターのように。

我々もその雰囲気にすっかり馴染む年になってしまいました。そう、来年は古希ですものね。

飯田一六会 26年度新年会 昼神温泉「天心」にて

26年1月新年会 006   013集合写真に間に合わなかったLongさん1人では恥ずかしいと若い子を連れてくる、この子、ジャンケンで総取り

26年1月新年会 0111月17日、もう何年になるだろう、今年も昼神温泉に18名が集まり、ゆったりとした時を過ごした。何時もの様に、温泉を堪能した仲間が一部屋に集まり、宴会前の宴会が始まる。毎月顔を合わしているのに、良く話す事があるものだ。宴会には、何時ものビンゴゲーム,持ち寄った景品と会から用意した豪華景品で、舞台が一杯になる。残った景品をジャンケンで争奪。カラオケルームと、チロリン村に別れ、夜遅くまで楽しむ。   翌朝は、阿智村の全国で初建設、満蒙開拓平和記念館を見学した。このHPでも何回か取り上げているが、民間団体が寄付等を募り、7年をかけ苦労して建てた物、中に入ると、その気持ちと、これからの日本の指標が見えるような気がした。なぜ、70年余の間、このような物が出来なかったのか不思議ある。  日本各地から27万人もの人が、広大な土地に憧れて、満州国に移住をした。中でも山坂の飯田下伊那地域では、郡を抜いて多くの方が移住している。土日などは、語りべが、ボランティアで来ている、セミナールームでは、スクリーンスにプロジェクターで、当時の様子などが映し出され、他の団体と一緒であったがすすり泣きや、大きなため息が聞こえた。我々は終戦生まれの人間であり、少なくとも、経験者から、多くを聞いていたが、これが本当に日本なのかと考えさせられた。広島や全国から、当時の資料が寄せられているようだ。   続いて山本にある そば道場にて、菅沼二三夫講師による蕎麦打ち体験をした、もう何回か経験してきたからか、手際だけは良い、しかし出来上がったそばを試食、味は良いが、中にはきしめん並みのものには、口うるさい評論家(蕎麦打ちをしなかった仲間)には、不評であった。

 

一六会の皆様 明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いします。

昨年は、「天変地異」 異常気象と未だかつて無いなどで 騒がれた年でした、飯田地方も少しの災害と史上初の38℃を記録しましたが、これがだんだんと平常値になるのでしょうか。来年は70歳古希を迎えます。我々の京都記念樹を観ながらの古希大会を計画中です。日にちは決まってませんが、その時は、元気に逢いましょう。

時節柄 体には気をつけられ お元気でお過ごし下さい。

一六会 水窪足神神社参拝10/6

今年は異常気象といわれ10月に入っても、まだ夏日が続き、地区行事がある中、神社例大祭の、我らG組み守屋治次宮司のもとへ喜久水献酒を片手に駆けつける。本人日本で一番小さな神社と言うが、毎回県内外から、200名以上の信者が参拝する。この神社の脇に出る脚に効くと言う清水には、年間を通してお世話になるほどである。新聞にも報道されているが、飯田高校一六会を代表して二木公平君が玉串奉奠をした。儀式終了後宮司から講話があった。詳しくは天竜新聞で、我々に興味がある記事があったので、一面を載させて頂きました。(天竜新聞・静岡新聞共に8日付け)

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足神神社例大祭 H25.10.06 A  足神神社例大祭 H25.10.06 B  足神神社例大祭 H25.10.06 C

足神神社例大祭 H25.10.06 D  足神神社例大祭 H25.10.06 E 足神神社例大祭 H25.10.06 F

IMGPDF  もう一つの顔 守屋宮司は、もう1つ西浦田楽保存会長でもある。今年6月22日に京都大学にて、人類学研究会の特別講演を行った、題名は「民俗芸能の実践と継承」で内容は西浦田楽である。講演者は、守屋治次・菅原和孝京都大学教授であった。私も、夜を徹して寒い・眠い・煙いの西浦田楽に参加した時は、事前に資料を見てから参加したが、講演DVDの内容は、もっと奥が深く、分かりやすい内容で、再度観音祭に参加したくなった。

講演が実践へと、11月9日京都芸術センターにおいて学術講演と祭りの奉納が、保存会の能衆にて、定員限定で行われる事となった。詳しくは、PDF画像チラシで。

 

一六会 新野「大行者秋例祭」参加

今年度は9月15日に開催された。今年の異常気象は特別である、9月に入り各地に雨や竜巻等で、被害の報道で一杯である、そこに台風18号が重なり、この日飯田を直撃、飯田線や153号線には被害が出たものの、幸い人的被害はなく、全国から見たら極軽傷であった。朝から風を伴う雨に、このお祭りの一端、奉納煙火が延期に成り、予定された餅投げや、芸能関係は、学校の体育館で行われた。飯田地方は昼から、晴れ間も見え、延期が悔やまれた。次の日16日宿泊場所「新野一力」さんにも料理等の延期をお願いした関係で、東京からの参加者を含め、皆参集した、しかし22日に延期とのこと、ガッカリはしたものの、そこは一六会の事、沢山の料理に大満足、大宴会をした。朝新米をご馳走になり、22日再度集まろうと、帰路に付いた。

22日気温最低14度、最高28度秋晴れの最高の日を迎えた。三々五々集合、途中マレットゴルフをしてきた仲間、孫同範から、温泉に浸かって来た仲間、「一力」の幻のソースカツ丼を頂き、片手には、生ビールで、煙火開催を待つ、昨年の40・60・70号の追い打ちに続き、今年は待望の尺玉奉納の為に1週間のドラマの最終章である。新野千石平は、小さな盆地であり、花火の音もこだまして、なんとも言えない炸裂サウンドを奏でる。関係者の方からは、総額1千万円花火との話にビックリする、確かに飯田では見られない、小さくて60号、尺玉入の豪華スターマインの連続だ、「新野の伝統文化に魅せられて」と題する我々一六会の尺玉には、「タマヤ」の掛け声と共に夜空一杯に花開いた。最後には2尺玉入り、最大級のスターマインと来年もよろしくお願いしますとばかりの、真白の尺玉太白星で結んだ。

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飯田高校一六会「G組同級会」

DSCN17299月10日11日とG組クラス会が浜松市で開催された。東京・中部・飯田と平日にもかかわらず21名が参加した。中には3組の夫婦も、計画通り浜名湖競艇場に現地集合、幹事の人脈で特別室へ、最上階のガラス張り、表は30度の暑さであるが、空調も効いて、部屋は快適である、もっともゲームで熱くなっている方も居ましたが。最終レースまで行い、ホテルへ、「The Ocean」 名前のごとく窓の外は海が広がり、ホテル前はビーチチェアーに囲まれたプール、シュロ、ヘニックスが一面に植えられ、異国を思わせる。 G組特有の宴会前の宴会が、持ち寄られた酒・肴で幹事部屋で開かれ、今日の反省と明日の打ち合わせ、宴会に移れば、何時ものパターン、そこにカラオケが加わり、もうすぐの70歳も忘れた。部屋の戻ってからも、皆で語らい、楽しい一時であった。翌朝第1レースから挑戦し、時間をみて、散開した。この企画に、リクエストもあり、クラスを超えた同好会を作りたいと幹事が、ネーミングまで考えている。

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 先日は「拡大G組同級会」の幹事役大変ご苦労様でした。
お蔭様で楽しい時間を過ごすことが出来て有り難うござました。
既に、「飯田高校一六会」のホームページを更新されておりますが、
私もスナップ写真を撮りましたので、下記にアクセスして頂き、スライドショーで見てください。
必要に応じてプリントアウトして下さい。
* 枚数が多いので、ピカサにアップロードしました。
* 参加された方でメールアドレスが確認できた方のみに送信しています。
                     H25/9/15 吉田和彦

東京一六会、恒例の暑気払いを開催

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猛暑が続く8月3日(土)、夕方5時から恒例の暑気払いを、神楽坂・きらく市で開催しました。

女性陣の参加は残念ながらありませんでしたが、暑い中、大病を克服したI君、T君の参加もあり、18名の仲間が集まりました。中島幹事長の乾杯の挨拶で和気藹々のうちに始まり、5月の台湾旅行の報告や、9月実施の浜松競艇への参加要請、ここ2年ばかり続けている10月の山梨でのゴルフコンペ開催提案など、まだまだ老いてはいないぞ!とばかりに元気はつらつの皆さんでした。

一次会散会後、8名ほどがカラオケスナックへ。現役時代に鍛えたノドを次々に披露し、皆満足しきって時間を忘れ、やっと10時半頃解散。自宅まで1時間以上かかる千葉、埼玉、神奈川方面の仲間も元気に家路につきました。久しぶりの終電だった仲間もいたことでしょう。(興津利夫・記)

盆月 旧友を偲ぶ 「開放されたラガーマン」

開放されたラガーマン                       堀 無情 

 その目の午後、私は、K病院の3Fエレベーターを降りて「桃井順三君の病はどこでしょうか?」と、尋ねていた。 『え、桃井さんは、亡くなりましたよ、去年だったかしら? 2年位前だったかしら?』、、、、「いつ頃でした?」と、意味のないような質問をしたのが精一杯だった。月に2、3回病院に出かける機会が有ったが、最近見かけないなと、思っていたところだった。彼は時々休憩所のTVで高校野球などを楽しんでいた、そして、『部屋に戻っていないとダメですよ、後で大変なんだから。』と、いわれていたのがギクリと思い出された。耳が遠いのか、殆ど会話をしない彼が、唐突に良く聞き取れないような声で『少し前に弟が死んだ。』と話したのと、「俺が解るか?」と聞くと、ニヤリとした。「又来るよ」と言ったのが最後になった。『飯高ラグビー班花園出場』と書かれた新聞を手にしたまま、私の右足はフラフラと力無く方向を失っていた。長い長い廊下を唯々歩いていつのまにか病院の外に出ていた。十二月の寒風に小雪がぺ口ペロと頬にあた。無性に大き声で「バカヤロー」と、怒鳴りたかった!立ち止まり空を見上げた、その時、一瞬、雲間から明るい光がさした。 そうだ彼は解放されたのだ、二十数年間の闘病生活から救われたのだ!密なる闘争の後にやがて訪れた融和とでもゆうのか。 そうだ!一緒に花園へ行けるんだ!もう車椅子なんか要らないんだ!花園へ行こう!そして、腹一杯応援しよう。 学ランを身にまとい首が太すぎてとめられないのかボタンをはずし、あるときは、グランドをドタドタと走り、時々ニヤリと人なつっこく笑う順三は、もう帰って来ない。 私の、記憶の中で彼は永遠に生きつづける。

お立ち日 平成20年8月12日    享年63歳   合掌

 

一六会旅行記「台湾を一周しました」

台湾を一周しました

 5月28日から「台湾1周20景めぐり5日間」と題したJTB旅物語企画のツアーにF組松尾勝彦くんを団長に、東京一六会のメンバー5名(F組塩沢敏行、中島直樹、G組伊藤昭吉、中塚 博)が参加した。小生としては仕事を含めると10回目の訪問であった。
 5日間の行程は概ね以下の通りで、観光3割、移動7割と台湾を1周することが主な目的の旅であった。
第1日:成田14時30分発、台北着後バスで台中に移動(150Km、約2時間)。
第2日:台中市内観光後日月潭へ(75Km、約1時間)。観光後台南へ(150Km、約2時間半)。観光後高雄へ(50Km、約1時間)。この日のバス乗車時間は観光含め6時間以上。
第3日:高雄市内観光後、台湾の東海岸を太平洋を眺めながら花蓮へ(350Km、約5時間)。この日も6時間以上の移動。山越えがあり最も厳しい移動となった。
第4日:タロコ渓谷観光後、列車にて九份へ(約3時間)。 九份観光後バスで台北へ(約1時間)。この日は約5時間の移動であったが列車が入り楽な1日。
第5日:忠烈祠で衛兵(徴兵制度が有り、ここの兵士はエリート中のエリート)交代の儀式を見学後、故宮博物院へ。その後台北市内観光後、台北発成田へ。出発が遅れたため成田へは21時30分過ぎに到着。荷物の出も遅く、家には24時過ぎに最終電車で到着。
 という事で、びっちり詰まった5日間の旅であったが、総勢21名のツアーの中で我々は若い方であり、初めての人と、夜、部屋で酒を酌み交わすなど、和気藹々の大変楽しい旅であった。
 ご承知の通り、故宮博物院は大部分の物は、蒋介石が毛沢東に追われ、台湾に渡った時に持ち込んだ、中国4000年の歴史的お宝の数々を展示した、世界的にも有数の博物館であるが、近年の中国との旅行自由化により、毎日7,000人の中国人観光客が台湾に来るとのことで、館内は大混雑であった。      
 大声で喚くように喋り、他人を顧みないマナーの悪い中国人が毎日大量に来るとのことで、台湾で最も素晴らしい観光スポットなのだから、もう少しゆっくりと見学することは出来ないのであろうか。誠に残念と言わざるを得ないことになってしまった。
 と言いながらも、台湾は日本にとっては掛け替えのない隣国であり、距離も近く、親日であり、食べ物も口に合い、国内旅行よりも安いくらいで、未だ行ったことの無い人にはお勧めの国である。(中島直樹記)

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