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27年度総委員会及び母校ゆかりの地と飯田城史跡の探訪No5開催される

 

総委員会開催
同窓会の七つの委員会が年に一度、意見交換をする総委員会が、10月17日(土)開催されました。

今回は財務委員会が当番委員会として、「ホテル弥生」を会場に行われました。

会議に先立ち恒例の歴史散策として飯田城ゆかりの山門を巡りました。同好会の一つである

「あかいし学遊会」代表の中島正韶氏の名解説が毎回好評で、二十七名の参加者が紅葉の始まった

初秋の爽やかな空気のもと、探訪を

楽しみました。会議では各委員会内の意見交換のあと合同会議で報告が行われ、

その後の懇親会では委員相互の交流を図ることができました。
財務委員長 宮澤豊司

25年度総委員会開催される

25/10/12 25年度の総委員会が社会貢献委員会(矢澤英峰委員長)主管で開催された。恒例になった「母校ゆかりの地と飯田城史址の探訪3」と題して中島正韶(歴史研究会高11)さんが、解説にあたった。コースは下伊那教育会館⇒春草公園予定地⇒黄梅院⇒正永寺⇒天下の糸平碑 約1時間半であった。教育会館は大正洋風建築で、板張りの廊下は、旧飯田高校校舎を思わせる、油雑巾で拭かれていた。ここに中学第1期生の大江磯吉像があり、会館と大江の話を聞く、天候に恵まれ、吹く風に秋風を感じながら、春草公園(まだ更地)から黄梅院、正永寺裏の空堀跡を尋ねる、正永寺(蒲 祐正住職高14)では、地方では珍しい二重屋根 釘をほとんど使わない小笠原家紋の本堂、脇には、400年前の枝垂れ桜、菱田春草絵を元に作成された魚籃観音(女性)が迎えてくれた。本堂中に入り、住職から曹洞宗圓悟山正永寺についてお話を頂、常には見る事の出来ない中央に釈迦 四方に四天王の内陣天井から大間の天井まで拝見させていただく、平岩洋彦画家(高14)の襖絵もあった。ホテル弥生に移り、各委員会会議と合同会議を行い、懇親会に移った。最後に応援歌、校歌で締めくくられた。

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H23年度総委員会開催される

11月5日総委員会が開催されました。表題のように硬いイメージを受けますが、同窓会の各委員会相互の親睦の為に作られた会であります。今回の幹事はHP運営委員会が担当しました。

何時ものように会議の後に懇親会でなく。居ながらにしてよく知らない母校の史跡と飯田城址を散策「丘の上・母校ゆかりの地を歩く」と題し小雨にもかかわらず、会報編集委員長中島正韶さん案内で、委員会のメンバー20人が参加した。今に残す旧飯田町での移動は道幅が狭く、傘をさしての移動でしたが、母校開校の永昌院⇒自炊団自彊社(島地五六生地)⇒菱田春草生誕地)⇒普門院(飯田城の鬼門除け祈祷所 校歌3番の問題の山口お藤さんも一時祀られた)⇒天満天神社(飯田城御3霊も祀られていた)⇒藩主が馬場に通ったくつわ小路⇒桜丸御門、夫婦桜、脇坂門・水の手御門⇒追手町小学校(飯田中学の校章に「追」を入れたもの)約1時間少し、携帯電話の万歩計では5000歩を越えた、少し汗ばむ体で、懇親会会場へ、散策組みを含めて27名 会議は各委員長から、現在の活動についての報告があり、宮島副会長の音頭で、乾杯 汗ばんだ体にビールが旨い。散策で感じたことや、高校時代の思い出を、全員発表でした、木下副会長から、喬木村の青竜会の話が出、各地区で歓迎コンパの、辛いカレーや、校歌・応援歌の特訓を受けた話しで、終始和やかな雰囲気でした。最後に中島正韶さんの3番入りの校歌とラグビー班花園行きにエールを送った、たまたま同じ会場で会合中の飯田高校野球班にもエールも送り 次期幹事の名簿作成委員長増田郁夫さんにバトンタッチと万歳で散会した。

H22年度 総委員会

総委員会は、6年前当時総務委員長だった現 松村 勝副会長が発案された委員会の集まりです。各々委員会活動は、同窓会活動の根幹を成し、縦割りの組織であって、横のつながりが余り無い。そこで年1回各委員会がどんな方がどのような活動をしているかの発表と、懇親会を始めました。委員会が当番幹事を務め、時には、自分の趣味を披露するなど楽しい集まりです。
H22年度は、会報編集委員が当番幹事で、12月9日(木)ホテル「弥生」にて行われました。

 
各委員からの活動発表・・・副会長挨拶

今日は寒かったですねお酒で温まった・・・

最後は何時ものように財務委員長による校歌