令和元年 高5回卆 高松会
- At 2019年8月24日
- By dousoukaiadmin
- In 回数学年, 高5回
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令和と改元されて気分も新た『高5回卆高松会』を去る6/15、市内の千登勢で開催した。本会は昭和28年3月飯田高松高校を卒業した同期で、主に県内に在住する50人余りの集いである。
まず例年の如く昨年から今年までに鬼籍に入られた友18人(学年全員)のご冥福をお祈りして黙祷を捧げた。
次に議事に移り、このところ年を追うごとに欠席者も多くなり、その多くが体調の不調を訴えている事から、今後の運営に付いて協議した。その結果凡そ半世紀に亘り当番幹事を選び全会員に呼びかける組織的な開催は体力的にも難しい、との声も多く残念ながら今回をもって終了する事にした。また、本会の会計についても清算の結果生ずる残金については母校に寄付する事にした。
次いで講和に移り、今回は『捨てないで』の運動を展開している公益社団法人南信州地域資料センター代表の 吉沢 健 君が講師を担当した。我々が何気なく廃棄したりする文献などに地域の貴重な文化財として価値を有するものがあるので、処分する前に必ず当法人に声をかけて欲しいと言う事である。
次に親睦会に席を移し、今回はアトラクションとして久保田英輔君にアコーディオンの演奏をお願いした。杯を重ねる毎に「おい、おまえ」に早代わり、唱和の流行歌に耳を傾けながら」暫し時を忘れたが、やがて「緑の地平線」そして「別れ舟」に移るや全員の合唱となった。永年続いてきた本会の締めくくりを心に納めてか、或いは次回の有志の集いに期待を込めてか、かつてない盛り上がりとなった。
最後は 校歌を斉唱、万歳を三唱して帰途についた。 幹事:岡庭、鎌倉、田中
出席者 後列左から:川井重明、吉川和人、久保田英輔、鈴木武志、北原幸男、岡田滋夫、宮島真治、吉川省治、原 茂美 (写真はクリックすると大きくなります)
前列左より:宮澤 宏、今村邦彦、伊藤喜平、岡庭章夫、鎌倉秋廣、田中健治、吉沢 健、今村 衛、松尾寿男。
追記:母校への寄付について
「高5回卆高松会」の解散により本会計を清算処理した結果、55,704円の残金が生じた。このためこの金額を先の取り決めに従い去る7/16、母校の「飯田高校教育振興基金」に寄付した。
鎌倉 記
令和元年上郷支部定期総会8/17 支部長櫛原利喜夫
- At 2019年8月22日
- By dousoukaiadmin
- In 上郷支部, 支部
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令和元年。今年の夏は、梅雨明けまで、冷夏と思うほど各地、雨が多く、台風でなく線状降水帯などと言う、雨が一回降ると、次から次へと雨雲が発生して災害をもたらす、明ければ猛暑日が続き、雨が降らない所は、特に新潟地区では40℃を超える天候と降れば観測史上初の記録を残している、暑いと言えば、白球を追う高校野球、初回からドラマチックな試合が続き、特に星陵と智弁和歌山との試合、延長14回2年生のホームランで4-1さよなら勝ちなどあり、体は大きいが、涙々の高校生の試合を楽しませてくれた。決勝は、8/22大阪履正社と石川星陵である、5-3で大阪履正社が勝利した。
飯田高校上郷支部(櫛原利喜夫支部長)は、本会から岡田寿久(高23上郷丹保)副会長を迎え、今年新築した支所・公民館で8月17日記念する定期総会を開催した、参加者35名であった。
暑い中、空調の効いた大きな第一ホールで、2年に1度の集合写真を撮った。総会は、物故者の慰霊から始まり、平成30年度事業報告、会計報告、令和元年度事業計画、予算案、役員改選などスムースな審議で、総会が終了する、アトラクションでは、副支部長の中島正韶さん(高⒒上郷史学会会長)の講演で「何故母校は高松原にあるのか」と言う興味深い話に耳を傾ける、大正中末期頃の話で、飯田中学の移転構想が起きる、構想理由は飯田中学、二の丸当時評判がよく、定員の倍位の応募者が居たことと、普通校ではなく2校構想と敷地の狭さであった。上飯田町は砂払に、松尾八幡原、伊賀良村南方、上郷村黒田原・天王原・高松原にと候補地が出て、誘致活動も盛んでしたが、問題が大きく群長・県議会・群会議・各市町村長・各有力者等々60余名の協議会が出来、議論の繰り返しである。町村に近隣町村から遅れをとった上郷村、闇郷村と呼ばれ、電灯が無く、学校より村営電気構想が叫ばれる中、各候補地の誘致報告書が、県に提出され、白熱化、市の発展には、南より、東に、坂でなく、敷地広面積などで、高松原に決定する。あと建設費歳出など、上郷町当時年間歳出額61,100円内、飯中寄付金3回で30,000円・・・中島講師、も乗ってきた。あaAA もう45分経ってしまった。この後、前同窓会長宮島八束さん音頭の乾杯で懇親会に移る、いつもの通りの和気藹々の酒宴である。 終盤には、中島正韶副支部長の音頭で、応援歌・校歌と歌い、最高高齢者の田中義人(高6)さんの万歳で散会した。
令和元年度役員名簿 (令和元度総会にて承認)
顧 問
岡田勇雄(高5)田中義人(高6)吉川碩人(高8)山岸一二三(高9)
支部長
櫛原利喜夫(高10)
副支部長
斎藤 純(高16) 中島正韶(高11)
事務局長
清水謙一(高20)
事務次長
原 優(高26)
会 計
林 英裕 (高31)
会計補佐
宮澤 孝明(高21)
会計監事
平沢通彦(高9)大蔵 利宏 (高36)
会員数323名 内新会員1名 地区幹事39名
高40回生「限りある生」輝かせて
- At 2019年6月12日
- By dousoukaiadmin
- In 回数学年, 高40回
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中日新聞に2回(トップ記事と対談)大きく取り上げられる
渡辺さゆりさん(旧姓石原)高40回生48歳 オレゴン大卒 飯田市にて英語教師
ステージ4の大腸癌の告知をうける。
飯田市立病院患者会「ひだまりかふぇ」代表 (立ち上げ者)
愛知県がんセンター患者支援団体「Evergreen」副会長
死の恐怖を乗り越え、患者同士が話し合い、残りある命をどのように生きるか、また最期を迎えるか
落ち込む患者に大きな光を与え、忙しく活躍している姿の記事である。
我々も早かれ遅かれ同じ立場になるが、その大きな支えになる事は、確かである。
さゆりさんの活躍と、それでも完治を心から祈ります。
貴方が生まれた時
貴方は泣いていたが、皆笑っていた。
貴方が死に逝く時
皆は泣いていたが、貴方は笑っていた。
そんな人生を、送りなさい。
ネイティブアメリカンの言葉゙
武士は、自分はいつ死ぬのか、戦いでか、切腹か、殿の為なら死も恐れない。
戦争では、自分は天皇の為に死ぬと信じて、多くの方が「天皇万歳」と散った。
現代では、誰でも良いから道ずれに、無差別殺人、幼い子供の虐待殺人、どこか狂っている。
トップ大学を卒、事務次官までなった、順風満帆に生き、息子も一流大学出、
何処で間違ったのか、息子はニートになり、家庭内暴力も、無差別殺人のニュースに万が一息子がこんな事になるのならと、全てを捨て、息子に手を下す。
10箇所にわたる刺し傷、振り下ろす刃物は、何を思い涙の犯行だったのか。
自分の死に逝く姿を考えて終活できる事は、ある意味すばらしい事である。
文責 嶽野英樹
平成31年2月3日付 中日新聞掲載された記事
4月16日ステージ4の患者対談は、残念ですが
大きくて載せれません。
クリックして読んでください。
桜情報 ⑤ 桜まつり 他 と 選挙結果
- At 2019年4月9日
- By dousoukaiadmin
- In ふるさと情報便
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4/7は大宮通り桜並木で桜まつりが行われました。去年は、花が散った後で天気も雪が舞う程の寒さで最悪でしたが、今年は最高のコンディション^^開花が遅れていたソメイヨシノも、前日に満開^^心配だったお天気も、ポカポカ陽気^^人出も多く賑わいました^^
通りではフリーマーケットなどが並び、花見客の皆さんを楽しませていました。
実は私もお役目で、交通警備係。踏切近くの交差点で、入って来てしまった車の誘導などをしていました^^;
近くでは、消防団が子供たちに消防車の乗車体験。去年は無かったこのアトラクションは人気を集めていました^^
この日は県議選の投票日。桜まつりの前後に投票した人も多かったのかな。私は警備に付く前に投票を済ませました。結果は・・・⇒南信州新聞
その他の桜もご紹介していきますね!桜の状態は撮影日を参考にしてください。
先ずは、江戸町の黄梅院の桜です。此処のベニヒガンの枝垂れ桜は色が濃くて形も素晴らしい。樹齢は350年程になります。黄梅院と言うのは武田信玄の長女の名前。若くして亡くなった姫を祀った寺とも言われています。全国的には他にも数カ所ありますね。(4/5 撮)
江戸町の正永寺は、大規模な改修工事中です。お花見が出来るような雰囲気ではないですね。
樹齢350年程の枝垂れ桜ですが、枝振りが寂しくなっています。それでも残った枝が奇麗に花を咲かせています。(4/5 撮)
こちらは普門院跡の糸桜。桜の裏側にはかつて堀氏が祀った普門院がありましたが、明治政府の神仏分離令によって廃寺とされ無くなってしまいました。糸桜も江戸時代からの物は大きくなり過ぎて倒れてしまい、今のこれは3代目との事です。寺が無くなった事で民家や電線が近く、風情も乏しくなってしまいました。
良い桜なんですがね~~^^;(4/5 撮)
鼎支部の総会案内
- At 2019年2月20日
- By dousoukaiadmin
- In 支部, 鼎支部
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鼎支部の総会が開催されます。
日 時 :平成31年3月17日(日) 17:00 ~
場 所 : ビーラクスマツカワ
同窓会本会からは宮島会長が出席します。
山本支部の総会案内
- At 2019年2月20日
- By dousoukaiadmin
- In 山本支部, 支部
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山本支部の総会が開催されます。
日 時 : 平成31年3月16日(土) 14:00 ~
場 所 : 千福屋
同窓会本会からは榊山副会長が出席します。
座光寺支部の総会案内
- At 2019年2月20日
- By dousoukaiadmin
- In 座光寺支部, 支部
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座光寺支部の総会が開催されます。
日 時 : 平成31年3月9日 18:00 ~
場 所 : 割烹「ふじ松」
同窓会本会からは宮島会長が出席します。
温故知新 ② 大江磯吉
- At 2019年2月18日
- By dousoukaiadmin
- In ふるさと情報便
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下伊那中学校の卒業生を見てみましょう。記念碑には「生徒は65名であった」とありますが、同窓会名簿を見ると下伊那中学校修了者は50名となっています。15人の方はどうされたのか?留年?退学?当時から進級や卒業が難しかった様ですね。また「明治17年8月終了」とあります。高校の沿革を見ると、「8月に群立中学校廃止、県立中学となる」とあるので、8月に卒業となった様ですね。前回「卒業時は二の丸跡の新校舎」と書いてしまいましたが、11月に二の丸跡に新校舎竣工とあるので、卒業時はまだ専照寺と思われます。
50名の中に気になる名前が!大江磯吉と菱田為吉の名があります。
大江磯吉は皆さんご存知でしょうか?かく言う私が知ったのは数年前です^^;偶然いただいた在京飯田高校同窓会誌「稲穂」11号に、吉澤香代子さん(高14回)が書いた随想「大江磯吉の胸像建立」が載っていたのです。それまでは名前を聞いた事がある程度でした。「破壊」のモデルと言われていますが、不勉強の私は未だ読んでいません^^;
今回これを書くにあたって色々調べたのですが、「稲穂」11号は大江磯吉関連資料として飯田図書館にも所蔵されています。
https://www.iida.nanshin-lib.jp/portal/cmsfiles/contents/0000000/385/h_oe.pdf
こちら ↓ からその全文を見る事が出来ます。是非ともご覧になってください。
https://iikou-d.jp/affiliate/tokyo/files/2014/11/tosui11_p13-16.pdf
名簿に「下伊那中学校終了者」が載っているのは、吉澤さんの尽力と分かります。
胸像は、伊賀良の円通寺に設置されたとの事です。円通寺の境内にはかつて磯吉が通った「知止小学校」が在ったとの事です。では行ってみなければ!
目指す胸像は境内の庭に設置されていました。お顔が若い!それもその筈、35歳の若さで亡くなっています。当時は兵庫県柏原(かいばら)中学校長でした。そこで郷里から母危篤の知らせを受け帰郷。自身も大病を患いどうにか回復した身。そこに長旅の疲れも加わって、腸チフスに感染。帰郷はしたものの、母を看取る前にご自身が亡くなってしまったのです。
胸像の製作は南島和也さん(高43回)との事です。此処の他、下伊那教育会館、伊賀良小学校にも設置されています。
ではお墓は?下殿岡の中部労働技能教習センター脇の通路を入った所にある、共同墓地に眠っています。以前この通りを通った際、偶然 案内板を見ていました。その時は通り過ぎてしまったので、今回改めて行ってみました。
広場の脇に「従七位大江磯吉先生の一生」と記された案内板がありました。34歳の時に従七位!特別に優秀な方だった事が分かりますね。享年35歳。法名は「謙譲院秀法智才居士」法名そのままのような生涯ではあった・・・と書かれています。
被差別階層の家に生まれた事で幾多のいわれなき迫害を受けた磯吉。いわゆる「部落差別」「同和問題」ですが、私は子供の頃そういう言葉を聞いた事がありません。しかも小学校では町内会の集まりを「部落会」と言っていました。それが今では部落=被差別部落 と言う意味合いになっていますね。そんな風潮には違和感を覚えます。地元にこの様な差別があったと言うのも意外でした。
お墓の脇には、遠目でもそれと分かる案内があります。墓石には「従七位 大江磯吉之墓」と刻まれています。機会がありましたら大先輩の墓参りも如何でしょう!
大江磯吉は、島崎藤村の小説「破壊」のモデルとも言われています。それを最初に言い出したのは、どうも高野辰之の様です。氏は、唱歌「ふるさと」や「おぼろ月夜」等の作詞者と知られる文学者。出身地の中野市には「高野辰之記念館」が在ります。辰之はかつて飯山市の真宗寺に下宿していて、その寺の娘さんと結婚しています。
「破壊」の主な舞台は飯山市。主人公瀬川丑松が下宿していた「蓮華寺」の描写は真宗寺。住職は生臭さ坊主。丑松がエタと知ると直ぐに追い出し畳替えをして塩をまいた、となっています。「破壊」を読んだ辰之は、義父はそんな人物ではないと憤慨し「唖峰生」という名前で抗議文を雑誌に投稿。それには・・・しかし丑松が差別されていたのと同じようなことがあったのは本当だ。あの大江磯吉が飯山に講師として招かれた時最初に泊まった寺でも、大江が「エタ」だと知るやいなや彼を追い出し、すぐさま畳替えをして塩をまいた、そういうことが本当にあったのだから・・・とも書かれていたそうです。
藤村もこれに対し別の雑誌に反論を書いています。あれは小説として書いた。それを事実の報告のごとくに取り扱われるのは遺憾である、と。
藤村は「破壊」を書く前に飯山を取材で訪れています。真宗寺へは下宿を営んでいる寺を描く参考のため、偽名で訪れた。でも連れの女学生に問いただすと、島崎藤村という小諸義塾の先生と分かった。住職は「手厚くもてなしたのに恩をあだで返された」と言い、辰之に「破壊」を読ませたのでした。そんなこんなで藤村と真宗寺の関係がギクシャクした時期があった様ですが、昭和40年真宗寺境内に「破戒」の文学碑が建立されています。除幕式には藤村の長男 楠雄氏も出席した との事です。
部落差別は、南信地方ではあまり耳にしませんね。でも同じ県内でも北信地方 特に千曲川流域では、被差別部落が多く差別意識も強かった様です。明治5年の「小学校令」の際にも、被差別部落の子供たちは学校に行けなかったと聞きます。
磯吉は知止小学校から飯田尋常高等小学校(現追手町小)へ進み、卒業時には成績優秀で下等科の助教に採用されています。更に下伊那中学が開校すると直ぐに入学。卒業後は長野師範学校(現信州大学教育学部)へ進んだのですから、勉学に関して差別される事は無かった様ですね。しかも地域の人々の支援も少なからずあったそうです。磯吉にとって、この地に生まれた事は不幸中の幸い とも言えそうな気がします。
次回はもう一人の大先輩、菱田為吉に付いて調べる予定です。(高18回 高田)
長野支部の総会案内
- At 2019年1月15日
- By dousoukaiadmin
- In 支部, 長野支部
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長野支部の総会が開催されます。
日 時 : 平成31年2月24日(日)14:00より
場 所 : ホテル 信濃路
松尾支部の総会案内
- At 2019年1月15日
- By dousoukaiadmin
- In 支部, 松尾支部
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松尾支部の総会が開催されます。
日 時 : 平成31年2月17日(日)
場 所 : ほっ湯アップル 17:00 より